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情報化による業務システム改善
情報化による業務システム改善

第1回:再燃するBPR(業務プロセス改革)
著者:みずほ情報総研   片田 保   2006/5/8
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BPRとは何だったのか?

   では、BPRとは何だろうか。

   BPRとは業務プロセス改革(Business Process Re-engineering)の略で、経済が閉塞した米国で登場した。長い経済不況により行き詰まった企業経営は、小手先の改善だけでは立て直せない。そのため、従来の業務のやり方や組織形態にとらわれず、もっと抜本的に刷新する必要があった。

   そして1993年、この抜本的な改革手法をM.Hammer氏とJ.Champy氏の有名な著書「リエンジニアリング革命」の中でBPRとして提唱した。組織よりも顧客からみたプロセスを重視し、ゼロベースでの見直しこそがBPRの本質であるという。彼らによるBPRの定義は次のとおりである。

   ——BPRとは、コスト、品質、サービス、スピードのような重大で現代的なパフォーマンス基準を劇的に改善するために、ビジネス・プロセスを根本的に考え直し、抜本的にそれを再設計すること

   「リエンジニアリング革命 企業を根本から変える業務革新(1993年11月 M.Hammer、J.Champy)」より抜粋。

   このBPRが登場した当時、日本経済はバブルの崩壊によって暗い影が落ち、誰もが重くのし掛かってくる出口の見えない閉塞感に沈んでいた。戦後復興とともに奇蹟の日本と世界から注目された華やかな時代は過去のものとなり、これまで支えてきた「しくみ」の限界が見え、制度疲労が顕在化しはじめたのもこの頃である。

   そしてBPRという経営改革手法に、新たな時代につながる希望を抱いて多くの企業が期待を寄せた。

   「古いやり方ではダメだ、コストとスピードを第一に経営を刷新すれば、また陽は昇る」そんな期待からBPRブームが訪れた。民間企業だけでなく、国・地方自治体などの公共機関もBPRを提唱した。翻訳された「リエンジニアリング革命」が書店に平積みになり、BPRを実践する情報システムとしてERPが注目を集めることとなる。もう一方の時代の寵児、「IT革命」である。

   しかしこのブームが過ぎ去ってみれば、相変わらず長い不況から抜け出せない企業は存在し、「所詮は舶来モノのアルファベット3文字の経営手法だった」と、BPRはマヤカシだったとの声もあがった。経営基盤を強化し、戦略的な意思決定のための手段となるはずだったITに対し、肥大化する情報化投資とともに「金食い虫」のレッテルを貼ったところも少なくない。


方向転換するBPR

   本家米国でもBPRの見直しの動きが高まった。従来の組織や会社の体制よりもプロセス至上主義で突き進んだBPRは、結果として人員整理であるレイオフ(layoff)を増長させることになった。日本では「リストラ」が人員整理、クビ切りとほぼ同義に用いられているように、米国ではBPRが「レイオフ」と同様の意味で扱われたのである。

   2000年にM.Hammer氏は「BPR=レイオフ」であるとし、人や組織を軽視するという非難の多くは誤解によるところが大きいと述べている。当初から提唱しているプロセス重視というのは、顧客の目線で組織横断的に抜本的に見直すべきだが、必ずしもその背景にある人や組織をないがしろにするものではない

   脈々と続いてきたノウハウは人や組織に蓄積されていることが多く、それらを無視してプロセスだけ確立させても業務は回らない。したがって、「BPRは組織や人を軽視しているわけではない」とM.Hammer氏はいう。しかし、クビ切りの道具としてのイメージを払拭しきれず、ポストBPRの新たな手法として情報共有や人材を重視するKM(Knowledge Management)が脚光を浴びることとなった。

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みずほ情報総研 片田 保
著者プロフィール
みずほ情報総研株式会社  情報・コミュニケーション部
公共経営室長   片田 保

1991年、早稲田大学教育学部卒業、富士総合研究所(現みずほ情報総研)入社、2004年から現職。専門は、ITを活用した行政経営、地域経営。行政の経営改革に関するコンサルティング、自治体の政策アドバイザーなどの業務に携わる。世田谷区行政評価専門委員を務めるほか、大学・大学院非常勤講師、自治体セミナー講師、論文執筆多数。

INDEX
第1回:再燃するBPR(業務プロセス改革)
  拡大する情報化投資の明暗
BPRとは何だったのか?
  されど、再燃するBPR