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Oracleの達人
第1回:曰く、先駆者たれ - 新日鉄ソリューションズ 中西 大氏
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Oracleのここに惹かれた

   現在のようにOracleを中心としたビジネスが広まっていない状況の中、実際の仕事やテストを通じてOracleの魅力を感じていったという。

   「私が最初に使ったOracle Databaseのバージョンは7.0.15で、丁度7が登場した最初の頃です。当時から製品に関して非常に高い信頼性がありました。ソフトウェアにバグは当然存在するものとして、Oracleの製品はサポートやサービスといった対処が早く、その内容に関して今でも満足しています。

   一方で、『何か重い』『難しい』という第一印象を感じていました。確実に動作し、壊れたときでも絶対に復旧するという安心感がある一方で、性能を上手く引き出すためにはチューニングのノウハウや利用するサーバのハードウェアに対しての知識も重要となる時代だったのだろうと思います」

   メモリ不足に対する配置の工夫や、ロールバックセグメントの切り方や大きさの調整、ログのアーカイブ生成サイズの見直しといった、今から見れば簡単な内容だが、この時代にOracleに挑戦した技術者によって、これらのノウハウが確立されたといえるだろう。


Oracleと共に成長

   データベース基盤に関わるトラブルやコンサルテーションが中心だった時代から、その後は実際のサービスや運用形態による問題が増加する時代へと移り変わる。次々に起こる新しいトラブルや問題を解決しているモチベーションについて中西氏はこう語る。

   「現在のようにインターネットが普及しておらず、テレホーダイやRASで接続する時代、大規模なポータルサイトの構築に関わる機会がありました。夜23時過ぎや昼休みなど特定の時間帯にアクセスが集中することから、システムを刷新するという案件でした。

   構築自体も大変だったのですが、データベースが落ちたりすると夜中でも電話がかかってくるので、そういった面でも大変な作業でした。

   どうすれば問題なく動作するのか、様々な方法を考えました。Javaを導入するという話もあったのですが、当時はまだ技術として枯れてない時期で、EJBを導入しても『動くわけがない』といわれるような状況でした。

新日鉄ソリューションズ株式会社 中西 大    普通のHTMLやPerlを使うとコネクションをプールするといった、本当に使いたい機能が使えないわけです。そこで、それを代替するトランザクションモニタみたいなものを自分たちで作って導入することにしました。

   そういった工夫を盛り込んだプロジェクトで、自分が考えたシステムが思った通りに動くというのは、やりがいにつながっていますね」


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