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新日鉄ソリューションズ株式会社 ITインフラソリューション事業部 エンジニアリング部 エンジニアリンググループ サブ・グループリーダー 中西 大
1989年新日本製鐵入社。自社製ハードウェアのOS・ファームウェア開発に携わり、米国での協同開発にも参画。1993年に新日鉄情報通信システム出向後、Oracle製品のサポート部門やコンサルなどの立ち上げに参画。2002年には技術部門のリーダーとしてRAC製品の検証を実施(この検証が拡販のドライブとなり、2003年新日鉄ソリューションズは「Partner of the year」を初受賞する)。
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「Oracleの達人」、それはOracle DatabaseをはじめとしたOracle製品を使いこなし、自らの仕事をまっとうし、誰もが目指すエンジニア最高峰である。本連載では国内有数の達人へインタビューを行い、その資質を解き明かしていく。
第1回は新日鉄ソリューションズで難易度の高いOracleの構築案件において、エースとして活躍する中西 大氏にお話を伺った。

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達人とOracleの出会い |
新日鉄ソリューションズとOracleの関係は、1991年に発表された戦略的契約の締結からスタートしている。前身の1つである新日鉄情報通信システム(略称ENICOM)において1992年にOracleビジネスを開始。1998年から行われているOracle Awardでは、第1回から第9回の現在まで、新日鉄ソリューションズはExcellent Partnerを9年連続で受賞している。
さらに2003年と2006年には、Excellent Partnerの中で1年に1社しか選ばれない「Oracle Partner of the Year」を受賞するなど、日本におけるOracleビジネスのパイオニアであり、現在もトップランナーであり続けている。
この新日鉄ソリューションズにおいて中西氏は、パートナー企業を含めて100名近いエンジニアが所属する組織(グループ)でサブ・グループリーダーを担当している。基盤に関わる「データベース」「サーバストレージ」、そして「ネットワークとセキュリティ」の3つの柱からなる部署の牽引役として多忙な毎日を送る。
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ハードウェアからミドルウェアにシフト |
これまでの仕事について、中西氏はこう語る。
「私は基盤系ビジネスに関する部署に所属しており、その中でも各種エンジニアリングとシステム構築を行うグループに所属しています。このグループには全体を統括するグループリーダーがおり、いろいろな意味で私は副官的な形でカバーしています。
実際にアプリケーションを作る部分や上流工程のコンサルは他社や他部署が担当するため見ていませんが、その他のプロジェクトに関する我々が関わる大体のところに目を通している状況です。
よりミドルウェアに近い部分に関われるということで、なかなか面白いのでは、と感じました。これまでの業務経験から、データベースや様々なソフトウェア、ミドルウェアだけでなくファームウェアに近い部分についての知識があり、データベース上であらわれる現象とその中身が頭の中で上手くつながったことでOracleをすんなりと習得できているのだと思います」
私はもともと当社のもう一方の前身である新日本製鐵EI事業部に所していたのですが、懇意にしていた元上司から話をうかがい、旧新日鉄情報通信システム(ENICOM)に異動しました。それまではプロッタのOSやデバイスドライバの開発といった、ハードウェアに近い部分に関わっていました。
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