企業のDX(デジタルトランスフォーメーション)やエンジニアの働き方が問われる昨今、1人の若きエンジニアの活動が注目を集めています。羽賀 流登(はが りゅうと)さん。2019年に新卒でGMOグローバルサイン・ホールディングス株式会社に入社し、現在はCTO室に所属する彼は、社内の「デベロッパーエキスパート(Developer Expert)」という特別な称号を持つエンジニアです。
年間100万円の活動予算、自律的なプロジェクト運営、そして「仕事が趣味で、趣味が仕事」と言い切るワークスタイル。なぜ彼はそのような環境を手に入れ、どのように成果を出しているのでしょうか。オープンソースコミュニティへの貢献でも知られる彼に、そのキャリアと独自の哲学についてお話を伺いました。
「渋谷で働きたい」から始まったキャリア
羽賀さんの経歴は、いわゆる典型的な「企業エンジニア」の枠には収まりません。学生時代からスマートフォンアプリの開発やWebサイト制作に没頭し、入社前からオープンソースのゲームエンジンの販売やサポートに関わっていたそうです。また、インプレス社が発行する技術同人誌「技術の泉シリーズ」から、VR技術に関する書籍(『WebXR』関連)を出版するなど、学生時代からすでに「作り手」としての顔を持っていました。
「入社の動機ですか? 実はすごく単純で『渋谷で働きたかった』というのが大きいのです(笑)」
羽賀さんは屈託なく笑います。実家が渋谷でNPO法人を運営していたこともあり、幼少期から馴染みのあるこの街で働くことに安心感と憧れがあったそうです。しかし、GMOインターネットグループを選んだ理由は場所だけではありません。「面接でお会いした人事の方や社員の方々の波長がすごく合ったんです。エネルギッシュで、何か新しいことを面白がってくれる風土を感じました」
2019年に入社後、彼は自身の技術的バックグラウンドである「Web」と「3D/XR」を武器に、キャリアを積み重ねていくことになります。現在はCTO室の研究開発部門に所属し、約10名のチームメンバーと共にブロックチェーン、ID管理、AI、そして羽賀さんの専門領域であるVR/AR技術の検証と開発を行っています。
選ばれし10名「デベロッパーエキスパート」制度とは
羽賀さんの活動を語る上で欠かせないのが、GMOインターネットグループが設けている「デベロッパーエキスパート」制度です。これは、グループ全体の技術ブランディング向上に貢献するエンジニアを支援するための特別な枠組みです。
「グループ全体で何千人ものエンジニアがいる中で、年間で選ばれるのは10名程度です。各社のCTOから推薦を受け、プレゼンテーションを経て選出されます。任期は1年ごとの更新制で、私も2025年度のエキスパートとして活動しています」
この制度の最大の特徴は、会社からエンジニア個人に対して強力な「投資」が行われる点です。選出されたエキスパートには、年間約100万円の活動予算が付与されます。その使い道は、自身の技術力向上や対外的なプレゼンス向上(ひいては会社のブランディング)に資するものであれば、非常に自由度が高いそうです。
「例えば、イベントへの登壇にかかる交通費や宿泊費、あるいは開発に必要な機材の購入などですね。最近だと、ドローンを購入したりもしました」
「100万円を自由に使える」というと聞こえは良いですが、そこには明確な義務も伴います。「アウトプット」です。「ただお金をもらって遊んでいるわけではありません(笑)。会社の技術力を社外にアピールするために、登壇したり、記事を書いたり、コミュニティ活動を主催したりと、自発的に動いて成果を残す必要があります。『エキスパート』の看板を背負って、自分自身を広告塔としてブランディングしていく活動ですね」
羽賀さんはこの予算を活用し、非常にユニークな活動を展開しています。その1つが、NASA(アメリカ航空宇宙局)が主催する世界規模のハッカソン「NASA Space Apps Challenge」への関わりです。
地方と世界をつなぐハッカソン活動
NASA Space Apps Challengeは、NASAが公開しているオープンデータ(衛星写真など)を活用して、世界中の会場で同時に開催されるハッカソンイベントです。羽賀さんは、このイベントの山口県宇部市での開催に深く関わっています。
「きっかけは、山口県で技術コミュニティを運営している友人からの誘いでした。『宇部でハッカソンやるから手伝ってよ』と言われて、『じゃあ行きます』と。そこでエキスパートの予算を使って現地へ飛び、メンターとして参加者の技術サポートをしたり、運営の手伝いをしたりしました」
東京のエンジニアが地方のハッカソンにふらりと現れ、最新技術で参加者をサポートする。これこそが、デベロッパーエキスパート制度が目指す「技術ブランディングの向上」の生きた実例でしょう。
「参加者は5〜6万人規模になる世界的なイベントですが、ローカル会場の熱量はすごく高いんです。私はWebブラウザ上で3Dモデルを表示する技術などが得意なので、参加者がアイデアを形にする際のアドバイスをしたり、時には宿泊費や交通費を予算から拠出して、イベントの円滑な運営をサポートしたりもします」
会社から「宇部に行け」と命令されたわけではありません。自分のネットワークと興味関心に従って動いた結果、それが会社のプレゼンス向上につながる。この「公私混同」とも言える軽やかさこそが、羽賀さんの真骨頂です。
「セルフマネジメント」で道を切り拓く働き方
羽賀さんのお話を聞いていると、会社員としての「業務」と、個人の「活動」の境界線が非常に曖昧であることに気づきます。しかし、それはネガティブな意味ではなく、極めて現代的で生産的なスタイルです。
「会社の中にいながら、まるでオープンソースのコミュニティ活動のように、自分のやりたいことや課題を見つけて、自発的にプロジェクトを立ち上げていくんです。そして、周囲を巻き込んでいく。上司から『これをやれ』と細かく指示されることはあまりありません」
CTO室という部署の特性もありますが、そこには徹底した「セルフマネジメント」が求められます。
「基本的には自分たちでセルフマネジメントして動く環境です。何もしなければ何も生まれませんが、逆に言えば、やりたいという意志とそれを裏付ける技術があれば、会社のリソースを使って何でもできる。例えば、社内の会議室を借りて外部のエンジニアを集めたミートアップ(勉強会)を開いたり。会社の『場所』と『お金』を使い倒して、自分のやりたいことを実現する。その結果、会社にもメリットが返ってくるというサイクルですね」
実際、羽賀さんはWebXRに関する技術コミュニティを運営しており、Discordサーバーには100名以上の参加者がいるそうです。最新のブラウザ技術やARグラスの検証結果を共有し合い、そこから得た知見をまた会社のR&Dに還元する。まさに、社内と社外の壁を取り払った働き方です。
「WebXR」へのこだわりと未来
羽賀さんが現在最も注力している技術領域が「WebXR」です。 VR(仮想現実)やAR(拡張現実)と言えば専用の重いヘッドセットを被り、ハイスペックなPCで専用アプリを動かすイメージが強いかもしれません。しかしWebXRは、普段使っているWebブラウザ(ChromeやSafariなど)だけで動作します。
「アプリのインストールが不要で、URLを共有するだけで誰でも3D体験ができる。この『手軽さ』がWebXRの最大の武器です。メタバースだなんだと言っても、専用アプリを入れさせるハードルはすごく高い。Webであれば、その壁を越えられます」
羽賀さんは現在、Webブラウザ上で動くAR/VRコンテンツの制作や、それを支えるライブラリの検証を行っています。技術的にはまだ発展途上の分野ですが、AppleのVision Proのような新しいデバイスが登場し、ブラウザの表現力が上がっていく中で、必ず主流になる技術だと確信しているそうです。
「少しマニアックな話をすると、Webブラウザで3Dモデルを表示する『WebGL』という技術があります。以前は『重い』『表現力が低い』と言われていましたが、今は通信環境もデバイスの性能も上がり、実用レベルになってきています。ここを深掘りしていくのが私のミッションですね」
エンジニアから「プロダクトオーナー」へ
入社から数年が経ち、デベロッパーエキスパートとしても活動する羽賀さんに、今後の展望を尋ねてみました。すると、意外にも「エンジニア」という枠組みを超えた答えが返ってきました。
「これまでは『技術の検証』や『新しいもの好き』というスタンスでやってきました。でも最近は、そろそろ『プロダクトオーナー』的な視点を持たないといけないな、と感じています」
ただ新しい技術を触って「面白いね」で終わらせるのではなく、それを使って実際にユーザーが使う「製品(プロダクト)」として世に出し、運用していくフェーズへの移行です。
「研究開発で作ったプロトタイプを、どうやってビジネスに乗せるか。どうやって継続的なサービスにするか。そこまで責任を持ってやり遂げたいですね。技術検証だけなら趣味でもできますが、社会にインパクトを与えるプロダクトにするには、やはり会社の力を使ってプロダクトオーナーとして動く必要があります」
ここでも、羽賀さんの「会社を使い倒す」というスタンスはブレません。技術力を磨くフェーズから事業を作るフェーズへ。エキスパートとしての経験は、彼を次のステージへと押し上げているようです。
取材後記:組織と個人の新しい関係
インタビューを通じて印象的だったのは、羽賀さんが1度も「会社への不満」や「やらされ仕事」について語らなかったことです。 羽賀さんは会社という組織を自分を縛る檻ではなく、自分のやりたいことを増幅させるための「プラットフォーム」として捉えているように見えました。
「仕事が趣味になる」という言葉はブラック企業的な文脈で語られることもありますが、羽賀さんの場合は全く違います。「自分の好奇心が向く先と会社の利益になる方向が一致している」という幸福な合致がそこにはあります。
GMOインターネットグループのデベロッパーエキスパート制度は、確かに年間100万円という予算や名誉を与える制度です。しかし、それ以上に重要なのは、羽賀さんのような自律的なエンジニアに対して「君の好きにやって良い。それが会社のためになると信じているから」という、組織からの強烈な「信頼」のメッセージなのかもしれません。
社内において「1人オープンソース」のように振る舞い、周囲を巻き込みながら成長を続ける羽賀さんの姿は、これからの時代のエンジニアが目指すべき1つのロールモデルと言えるのではないでしょうか。
取材の最後に「来年のエキスパート更新はどうしますか?」と意地悪な質問を投げかけてみました。羽賀さんは少し考えた後、ニヤリと笑ってこう答えてくれました。
「まあ、やりたいことはまだ沢山ありますから。来年もこの制度を使い倒してやろうかな、とは思っていますよ」
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