強盗が 侍魂 呼び覚ます
侍、誕生
助言どおりに「大きな道」を選び歩き、ホテルの部屋に戻ったのが22日の午後11時30分ごろでした。しばらく部屋にぼんやり1人座り込んで、23日を迎えました。ブリュッセルの3日目、FOSDEMの初日、発表の1日前です。
部屋に備え付けの鏡で自分の姿を見て、しみじみ「ああ、ひどい顔をしている」と思いました。心身ともに疲れ切っていましたが、会議の準備をしなければなりませんし、その前に盗難の被害も確認しなければなりません。
ベッドの上にスーツケースを広げて、のろのろと自分が失った物の確認を始めました。スーツケースに残しておいたと思っていた日本円47,000円がないのでバッグに入っていたのだと気がつきました。それにしてもPCを持っていなかったのは不幸中の幸いでした。
疲れ、うちひしがれていた私は、いつしか「どうして自分はここにいるのだろうか」と自分に問いかけ始めていました。今回の出張は業務命令でもなければ、もともと計画していたのでもありません。自分で見つけて、応募し、採用されてから予算を調整し、会社の許可を得たものです。
採用通知を受領してからは休日も含め持てる時間すべてを使い準備をしてきて、その結果がこれです。来たことが、申し込んだのが、間違いだったのだろうか、そんなことまで考えました。
どのくらいそうしていたことでしょう。いつしか「そうではない、間違いではない」という思いが生まれてきました。「自分はFOSDEMでヨーロッパの開発者たちにTOMOYO Linuxを紹介するために、やってきた。そこに私心もなければほかの理由もない。ただ、日本のOSSの取り組みを伝えようとしてここにきて、それが間違いであるはずはない」。
最初はピアニッシモのようにかすかだったその思いは、時を重ねるごとに次第に強く、最後はフルオーケストラのように自分の中に鳴り響きました。何があったとしても、どんなことがあっても、「伝えよう」とあらためてそのことを誓いました。日本を遠く離れたベルギーのホテルの部屋で、私はふと「これが侍の気持ちだろうか」、そう思いました。その時の心境を侍に語ってもらいましょう。
会議用資料を作る
侍となった私は、シャワーを浴びて身を清めました。日本の時間を確認してから携帯電話で上司に電話をかけて簡単に状況を伝えたら、「最悪の場合は、発表しなくても良い」との言葉をもらいました。その配慮に感謝しながらも、「いえ、私は発表するためにここにきたのです。何があったとしても、必ず発表します」と答えました。
その後帰国便のeチケットの控えが盗まれたバッグに入っていたことがわかったので、旅行代理店のサポートに電話しました。こちらもすぐ日本人のオペレータの方につながり、ホテルにFAXをしていただけることになりました。こうして日本語で相談し、対応いただけることはどれほどありがたいことでしょう。
こうしてやるべきことを行ってから、IT時代の武士の魂であるノートPCを開きました。「起きていられる限りの時間、作業を続けよう」、そう思いました。もはや空腹も疲労感もありません。これがブリュッセル2日目の夜から3日目の朝のできごとです。そして次回、いよいよ発表の当日を迎えます。