TOP調査レポート> ブログは本音なのか、それとも建前なのか?
Webビジネス
Webビジネスの現在と未来

第4回:ブログ・SNSが生み出した暗い影とは?

著者:野村総合研究所  小林 慎和   2007/6/13
前のページ  1  2  3
ブログは本音なのか、それとも建前なのか?

   いまや1,000万ものブログサイトが存在し、ごく一般の消費者達が日々、ブログに自身の感じたこと、商品やサービスの批評や感想、映画や本などの評価を書き込んでいる。1日にブログ上に書き込まれる文字量は約10億文字であり、世界中のブログに占める日本語の量も37%を占め、総表現社会が到来しつつある。

   あらゆる人が手軽に物事を情報発信できる社会と表現すれば、かつて新聞やテレビのチャンネルが数チャンネルしかなかった時代に比べ理想郷に近づいたと感じる。しかし、ここでは敢えて総表現社会の暗部について言及したいと思う。

Webビジネスは時速100kmに対して法制度は時速2kmで動いている

   誰もが情報を発信できる社会とは、誰もが公の場で批判される可能性がある社会とも捉えることができる。放送・報道規制、雑誌の編集機能など、これまでのメディアは中央管理的な役割を担う機関・部署があることで、情報に対する統制が取られていた。当然ながら、誹謗中傷などを含む情報配信については、法制度に則り社会的制裁を受けてきている。

   そして今、ブログに代表される様々なサービスによって、容易に情報発信できる仕組みのみが先行して広がる中、それを取り締まる制度や機関が未整備である。そのため、利用者は自身への批判に対してあまりにも未防備な状態となっている。

   アルビン・トフラー氏は自署「富の未来」の中で「Webビジネスは時速100kmで高速移動するのに対して、法制度は時速2kmで最も遅く変化している」と述べている。社会変化に応じて法制度の整備・改正が議論され、施行もされているが、Web社会との乖離は開く一方である。


それは建設的な議論なのか?

   ブログで書き込まれる内容は、建前とも本音ともつかない事柄であることがある。普段知人や家族にさえ見せない自分の一面を不特定多数の読者が想定されるブログで表現するブロガーがいる。彼らが発信するのは、本音なのか、それとも本性なのか。

   デジタルネットワーク上の人間関係を維持するために、ネチケットと呼ばれる建前なのか謙遜なのかがわからない会話がネットワーク上を行き来する。マナーを伴った情報交換自体は奨励されるべきことであるが、あまりに表層的な乾いた会話が横行してはいないだろうか。

   そして、本音であれ、建前であれ、すぐにそれらは批判の対象となり、たちどころに「炎上する」ブログが数多い。

   今、全国の学校では「ウラサイト」というものが溢れているいるらしい。先生の評判・批判や、生徒個人への誹謗中傷などがそのサイト上で横行しているというのだ。例えば、ある生徒が自分への中傷と読み取れる書き込みをサイト上で見たとき、「誰もがアクセスし閲覧できるインターネット上で書き込まれた自分への批判は、周りの人すべてに見られているに違いない」という絶望感をその生徒は感じるだろう。これは引きこもりへと発展する場合もあるかもしれない。

   また、アナリスト的なブログにも批判の嵐はやってくる。それは匿名ブログであれ、某事業者が運営するサイトであれ変わらない。例えば、ある市場のビジネス分析をしているブログ記事に対して、個人の能力の無さをあげつらうコメントが、読者からわざわざ書き込まれている場合がある。1行1行に対して分析の欠落点や批判を加えるようなコメントもある。そこにはなんら建設的な議論はない。


今我々が早急になすべきこと

   言文一致から百年、我々人間はまだ言葉の使い方、とりわけ文字表現については誰しもが未熟なままである。ブログ上で表現された記事は、その書き手の思いすべてを表現したものではない。字数など空間的な制約によって考える事柄のごく一部をピックアップして表現したものである場合がほとんどである。物事を1つの側面から捉えた事柄に対して、明らかに次元の違う批判がなされていることをよく目にするが、これはあまりにも悲しい。

   こうした一般の消費者同士の非建設的なやり取りは、総表現社会でもなければネットワークによる情報共有が目指す姿でもない。

   情報を共有する仕組みがなかったがゆえに知ることができなかった事柄、正確に表現するならば、知る必要がなかった事柄を目にしてしまう現代人。ネット上にはびこる批判は該当者に対しては精神的なダメージを与えるが、批判する者にとってはまったく身体的ダメージに繋がらないがゆえに、「気軽に」情報発信されていく。これはまさに、究極の遠隔攻撃手段といえるのかもしれない。

   ブログに代表される感情表現は、本音と建前に続く第3の表現方法といえるのかもしれない。我々は、家族、知人・友人と対面で向き合うことで、本音と建前を織り交ぜながら自分の感情を表現する手段、つまりは社会性を獲得し成長してきた。

   しかし、今インターネットを活用する誰もが、この新しい感情表現方法であるブログに代表されるコミュニケーションサイトに対する向き合い方を知らないでいる。こうした感情表現手段があることが当たり前の世の中をこれからの子供たちが生きていくときに、我々が投げかけてあげることができる言葉を早急に見出さなくてはならない。


ブログとSNSが生み出す情報格差社会

   次回は、ブログとSNSが生み出した情報格差社会について解説していく。

前のページ  1  2  3


野村総合研究所 小林 慎和
著者プロフィール
野村総合研究所  小林 慎和
コンサルティング事業本部
情報・通信コンサルティング部 主任コンサルタント
工学博士
ネットビジネス事業者、通信事業者及び情報サービス事業者に対して事業戦略立案、マーケティング戦略立案、海外展開支援などのコンサルテーションに従事。その他に、ネットビジネスの動向について各種講演、執筆活動を行っている。共著書に「これから情報・通信市場で何が起こるのか」などがある。


INDEX
第4回:ブログ・SNSが生み出した暗い影とは?
  Web 2.0の潮流が見えているか?
  ブログとSNSはどこまで拡大するのか?
ブログは本音なのか、それとも建前なのか?