アジャイル・ブームの再来
「XP」の誕生
アジャイルという言葉が日本で最初に使われ始めたのは、10年程前の2000年前後です。
ITバブルと呼ばれ、多くの企業がeコマース(電子商取引)に着目していた当時、企業が提供する各サービスは、それぞれの特色を出そうとして、要求が複雑になっていました。
こうした中、1999年に『Extreme Programming Explained - Embrace Change』と呼ぶ1冊の書籍が出版されました。これは、前ページでも触れた、アジャイルの開発手法の1つであるXPの入門書です。
XPは、書籍の副題に"Embrace Change" と記載されているように、「要求の変化は、受け入れるべき自然なことである」とする開発手法です。要求の変化に追われていた当時の開発現場において、要求の変化に対する手法がプラクティスとして明確に紹介されていたことで脚光を浴び、開発者を中心に広まっていきました。
2000年2月には「XP-jp」と呼ぶ、XPに関する議論を行う日本語メーリング・リストが誕生しました。同年12月には、前述した書籍の和訳『XPエクストリーム・プログラミング入門―ソフトウェア開発の究極の手法』が発売されました。こうして、XPに関する情報は、より多くの日本人開発者の目に触れるようになりました。
2001年3月には、日本におけるXPの普及を目指すコミュニティ「日本XPユーザグループ(XPJUG)」が設立されました。2002年には、XPJUG主催の情報交流イベント「XP祭り」が開催されました。XP祭りは、現在も毎年9月の第1土曜日に開催されており、XPを中心にアジャイルに関する多くの事例が紹介されています。
このような経緯があったため、アジャイルは各手法の総称であるものの、日本においては特に、XPの普及に合わせたかたちでアジャイルという言葉も広まっていきました。
アジャイルに対する勘違い
アジャイルにとって、2000年代の前半から中盤にかけては、「試行錯誤の時代」と言えます。XPが日本に紹介され、コミュニティ活動が徐々に活発になっていった時代であり、アジャイルがより一般に認知され、実践の場へと展開されていきました。
アジャイルと総称される一連の開発手法には、実際の手法的にも、背景にある文化的要素にも、試行錯誤を当たり前のものとして受け入れる側面が、もともと備わっています。このため、アジャイルの実践者たちがアジャイルを広めるために試行錯誤を行うのは、当然の流れです。
おそらく、読者の皆さんも、当時のWebサイトや書籍などで、アジャイル開発の成功事例や失敗事例のいくつかを目にしたことがあるのではないでしょうか。アジャイルは、成功による蓄積や失敗による失望を繰り返しながら、徐々に浸透していきました。
ところが、アジャイルの浸透と同時に、少し困った誤解も生じることとなってしまいました。
例えば、XPが展開されていく当初にあった誤解に、「ドキュメントを書かなくてもよい」、「計画を立てる必要がない」、「設計をする必要がない」といったものがあります(図2の右)。これは、開発者サイドの誤解です。
近年よく見られる誤解には、「とにかく早くモノができる」、「とにかく安くできる」、「要件・仕様といった面で無理が通せる」といったものがあります(図2の左)。これは、発注者であるユーザー・サイドの誤解です。
図2: アジャイルに対する誤解 |
着目してほしいのは、これらの誤解が、異なる立場の人によって、また、違うタイミングで出ている点です。
開発者サイドの誤解(図2の右)は、アジャイル・マニフェストを理解せずにアジャイル開発を実践した際に生じます。一方、ユーザー・サイドの誤解(図2の左)は、アジャイルの部分的な特性だけを切り出して見たり、字面だけの印象が強調されてしまったりしたために生じます。
ユーザー・サイドに誤解が生じるということは、開発者だけでなくユーザーにもアジャイルが認知されるようになってきたことを意味します。ポジティブに捉えるなら、開発者からの発信によって始まったアジャイルの浸透が、単に開発者に閉じた話ではなく、世の中全体に浸透してきている、ということになります。
次のページでは、こうした背景をベースに、アジャイル・ブームの再燃とも言える昨今の状況を、もう少し具体的な話を取り入れつつまとめます。