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  エンジニアtype

Mozilla製品の普及に貢献した「ブラウザの母」が見据える、オープンソース文化の未来

2012年7月2日(月)
『エンジニアtype』編集部

プロフィール

Mozilla Japan 代表理事
瀧田 佐登子さん

1986年、日電東芝情報システムに初の女性SEとして入社。富士ゼロックス情報システム、東芝を経て、1996年米国Netscapeへ。ブラウザ製品の国際化および日本語化を担当。日本法人撤退後も1人で国内企業ユーザーへのサポートを継続した。2004年、Mozilla Japan設立を果たし2006年に現職。2007年から慶應義塾大学大学院・非常勤講師も務める

「1999年から2003年ころまでの間は、あくまで企業人のマインドでオープンソースの世界にかかわっていた気がします。フラットな立ち位置でこの世界と向き合えるようになったのは、Mozilla Foundation ができた2003年ころからなんです」

現在、国内でFirefoxやThunderbirdといったMozilla製品の普及や開発支援を行うMozilla Japan代表理事の瀧田佐登子さんは、そう打ち明ける。

1999年当時、瀧田さんはNetscape Communications社で日本語版の開発を担当する国際化エンジニアとして活躍。出産準備のため、2年間におよぶ滞米生活を終えて日本に戻ったばかりだった。

時はおりしも、Netscape NavigatorとInternet Explorerによる「第一次ブラウザ戦争」の末期。この年の前年、Netscape Communications社は、劣勢が続く事態を打開するためソースコード公開に踏み切るなど、大胆な策に打って出ていた。AOLによる同社の買収劇も、その時期の出来事だ。

「Netscape Navigatorがオープンソース化されたのは1998年のこと。とはいえわたし自身はそれまで営利企業での経験しかありませんでしたし、オープンソースプロジェクトとなったMozilla.orgも、当時はAOL傘下のNetscape 社との協業でした。そのせいか、オープンソースコミュニティーについて真剣に考える機会って、それまでほとんどなかったんです」

帰国後、瀧田さんに与えられた役割は、金融機関を中心とした顧客へのサポート業務。しかし第一次ブラウザ戦争の勝敗が明白になった2001年、Netscape Communications社は日本からの撤退を表明。その後も本社直轄のプロダクトマネジャーとして国内のサポート業務に孤軍奮闘していたものの、2003年には本社の直属チームが解散することを知り、一時はこの世界から本気で離れることも考えたという。

「子育てと家事に専念しようと思ったこともありましたね。でもあの時、今までとは違う距離感で自分の仕事を見つめ直せたおかげで、はっきり分かったことがありました。それは『自分たちが大事に育ててきたプロダクトのDNAだけはこれからも絶対に残したい』っていう強い気持ちだったんです」

ちょうどそのころ、瀧田さんは本国アメリカでMozilla Foundationが発足したのに伴い、国内でもMozilla Japan設立に向けた動きがあることを知る。彼女にとって次に取り組むべき大きな仕事に出会った瞬間だった。

Mozilla Japan設立に向け、コミュニティーと真摯に向き合う

「ITを使ってクリエイティブなことをしたかった」と話す牧野

「Mozilla Japan設立のころから、企業人としてではなく、よりフラットな目でコミュニティーを見ることができた」と話す

「Mozilla Japan設立にあたっては、まずコミュニティーが活動しやすくするために自分たちに何ができるか。そして、わたしたちは何をするための組織なのかをはっきりさせなければならないと考えました。同時にコミュニティーの皆さんからオープンソースの本質を学ばなければとも思いましたね」

Mozilla Japanが目指すべきは「Webの文化を守り技術を発展させ、その成果を次の世代に伝えていくこと」。これが明確になることで、改めて気付かされたのは、Mozillaコミュニティーの重要性だった。

「そこで、コミュニティー内の主要メンバーのもとに出向いて行っては、Mozilla Japanの設立趣旨や自分たちの思いのたけをお話ししながら、率直にお願いしました。『1人じゃできないからぜひ助けてほしい』って」

瀧田さんの真摯な申し出に、賛意を示すメンバーは多かった。一方で、「過去の成果を横取りされるんじゃないか」という疑念の声が上がったのもまた事実だった。瀧田さん自身もこれまでの経験上、批判の声を覆すには言葉だけでは足りないことは十分分かっていた。それを可能にするのは、自らの態度によって示すよりほかに道はない。

「今思うと、初めてアメリカに行った時と同じことをしていたんですよね。突然現れた日本人が向こうで信頼されるには、まずはやるべきことをきっちりやってからじゃないと誰も付いてきてはくれません。やっぱり行動によってでしか、伝わらないことってあるんですよ」

圧倒的な仕事量と実績で勝ち取った信頼の証し

瀧田さんがNetscape本社でプロダクトの国際化に携わっていた当時、アメリカに次ぐ大きな市場は日本とドイツ。中でも日本人が製品に求めるクオリティーは、本国の開発者にとって理解不能なほど高いと思われていた。

「わたしが不具合のリストを開発者に見せると、『本当にこれは直さないといけないの?』って何度言われたか分かりません。例えば『文字化け』や『コスメティックバグ』と呼ばれる些細な不具合は、開発者の中でも軽視されがち。だから『これを直したらきっとシェアも伸びるし、あなたにも良いことがあるから』なんて言いながら、しぶしぶ修正してもらったりしていましたね」

半ば強引なやり方のようにも見えるが、それでも開発者が付いてきてくれたのは、瀧田さんが現場に入ったことで日本市場の評価も好転したからだ。これに加え、仕事にかかわってくれた同僚たちが、その功績によりポジションを上げたこともある。だが、それだけではなかった。

「向こうで仕事をしていると、日本のオフィスが開くのがちょうど夕方。やり取りしているうちに、気付くと夜中の12時を回っているなんてこともしばしばでした。でも『こんな時間に駐車場に出るのは怖いし』なんて思っていると、いつの間にか朝(笑)。アメリカに滞在していた時は、たいていそんな毎日でしたね」

「Chibi(瀧田さんの愛称)はクレージー」。これが彼女の働きぶりを見た同僚たちの印象だった。しかし、彼らはその言葉の後、多くの場合「でも」と言葉を継いだという。

「でも......彼女の言うことを聞けば日本のシェアは保てる。彼女に付いていけば間違いない」。その言葉こそ、異文化に飛び込んだ瀧田さんが圧倒的な仕事量と実績で勝ち取った信頼の証しだった。

信条は「トライなくして結果なし」。結果は後からついてくる

1986年に入社した日電東芝情報システムで、女性初の汎用機SEとしてキャリアをスタートさせた瀧田さんは、その後もITの歴史と歩調を合わせるかのように、UNIX、Java、ブラウザ、そしてオープンソースコミュニティーと出会い、自分のキャリアと結び付けてきた。先々を見据えたキャリア戦略を持ち合わせた結果のようにも見えるが、自己評価は異なる。

技術を身につけることを「手に職」というが、牧野の場合「手が職」といった方が当てはまるかもしれない

「成功したことがない」と瀧田さんは話すが、その思いが挑戦し続けるためのモチベーションなのかもしれない。

「先々のことが分かったら、こんなに苦労しないですよ(笑)。それにわたし自身、自分のことを成功したなんて全然思っていませんし、どちらかというと失敗の多いキャリアだったと思っているくらいです。水鳥が水面下で必死に足を動かしているじゃないですか。あれと一緒。ひたすら努力して、その時々で必要とされるところに行っただけなんです」

この思いは、非営利団体の長となった現在も変わらない。しかし彼女の関心は、かつてのようにプロダクトのシェア拡大によって世界を変えることではなく、より広く世界を見渡した時に感じる不具合を、いかにオープンな手法で解決していくかに変わりつつある。

「オープンソースコミュニティーとのかかわりを深めることで、この世界の素晴らしさを感じる機会は増えましたね。例えば、若くて経験が乏しかったある開発者が、勇気を出してコミュニティーに参加したところ、世界中の開発者から得た有益な助言によって成長を促され、コミュニティーの中で重要な存在に成長していくのを間近で見たことがあります。こういうことが現実に起こるのが、オープンソースコミュニティーの素晴らしさだと思うんです。それに、誰がどんな貢献したのかはっきりと示すことができる世界ですから、自分の成果を上司や他人に取られてしまうようなこともない(笑)。こうしたフェアでフラットな文化を、もっと若い人たちに実感してほしいと考え、最近あるプロジェクトを立ち上げました」

技術を身につけることを「手に職」というが、牧野の場合「手が職」といった方が当てはまるかもしれない

『Mozilla Factory』ホームページ

それが、『Mozilla Factory』という新プロジェクトだ。このプロジェクトはMozilla Japanが主体となり、高校生や大学生による『チューター』と各分野で経験を積んだ『メンター』が、中高生を中心とした『プレイヤー』とともにモノづくりの面白さや醍醐味を共有する学びの場。今後、デザインやコミュニケーション、アートなど、ITに限らず活動を広げていく計画だという。

「日本の企業はアメリカの企業に比べ、まだまだオープンソースを上手に使いこなせていませんし、利用するばかりで得た成果をコミュニティーに還元しないケースも目立ちます。このプロジェクトは日本の企業に、オープンソースやオープンイノベーションの持つ本当の価値を体感してもらうための取り組みでもあるんです。この活動を通じて、わたしたちは将来のWebのあり方を探るだけでなく、次の世代のコミュニティーを支える人材を輩出していきたいと考えています」

リアルとバーチャル、個人や組織の枠にとらわれず、オープンな発想でITとそれを取り巻く未来を考える。瀧田さんが好んで使う「トライなければ結果なし」というフレーズにも符合する試みだ。

「プロジェクトの成果も自分のキャリアも、後からついてくるものだと思うんです。好きこそ物の上手なれって言いますよね。まずはできることから始めてみることが大切だと思います。失敗だって成功の糧になる。どんなことにもどん欲に挑戦することを、若い世代にどんどん伝えていきたいと思っています」

瀧田さんのことを、日本が生んだ「ブラウザの母」と呼ぶ声がある。その母の目には、すでに子どもたちの明るい未来が映っているのかもしれない。

取材・文/武田敏則(グレタケ) 撮影/竹井俊晴

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著者
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