作品が出会いにつながる
Mr.Children復帰第1弾としての「HERO」
筆者自身落胆したことは確かでしたが、それよりも、桜井さん自身の計り知れないショックと絶望感を感じました。
現在ではそんなことがあったとは思えないほどパワフルに活躍している姿を見ることができますが、病気で倒れたあの時期は、もう歌えないのではとか、身体が思うように動かなくなるかもしれないという不安のただ中にいたので、Mr.Childrenは今後どうなってしまうのだろうかという心配でいっぱいでした。
1ヶ月ほどして担当の方から連絡をもらい、小林武史さんにお会いすることになりました。曲を聴いてほしいと言われ、同席した担当の方がピンク色のMDを取り出しデッキにセットしました。
MDから流れてきたのは桜井さんが1人でピアノを弾きながら歌っている曲でした。倒れる前に作られた曲だそうです。ピアノの素朴な雰囲気と桜井さんの歌声から感じられたのは等身大の桜井さんでした。この曲はたぶん誰もいないスタジオ(もしくは自宅かもしれませんが)で1人曲作に専念しているときにある程度原型ができた段階で録音されたものだと思います。それはまだ生まれたばかりで、なんの加工もされていませんでした。
それは(当たり前なことを言うようですが)桜井さんの日常のありふれた中から紡ぎだされたもので、そこにはよりリアルな彼の日常を感じることができ、この曲が生まれた経過みたいなものがより鮮明に伝わってきたのです。それが「HERO」でした。Mr.Childrenがまた動きだしたのだと思いました。
創作者と社会性
期間は2ヶ月半でした。2日で構想を練り、すぐにセット制作に入りました。
撮影経過を心配している関係者の方がときどき見に来て、何度かお酒を飲みにいったりしました。CDジャケットの撮影には有名な写真家の方が筆者の仕事場に来ました。CMスポット用映像も制作させてもらうことになりました。また、オリジナル絵本も制作することになりました。
撮影は順調に進みました。逆にそれが不安になりました。最後の最後で大地震でもくるのではないかと思い、夜寝られないときもありました。
出来上がった映像を編集スタジオに持って行き、曲やタイトルとつなぐ作業に同席しました。やがて発売間近になるといろんなところで「HERO」が街に顔を出し始めました。テレビではCMが流れ、ビリヤード場やボーリング場でもPV映像が流れました。発売されるとレコード店の至るところでMr.Childrenの臨時コーナーができ、「HERO」を大々的に宣伝していました。
すべてが筆者にとって初めての経験でした。このようにいろんな人がかかわって世の中に流れていくことを体験しました。この仕事で少しずつではあるけど社会性みたいなものを身につけていきました。それから他人とかかわることの重要性や1人では到底生きていけないということを学びました。この仕事を通して人間的に多少とも成長したような気がします。
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