ムチャ振りを断らない男が語る、「Android」のような技術屋哲学【対談:法林浩之×安生真】
日本UNIXユーザ会(jus) 幹事・フリーランスエンジニア
法林浩之(ほうりん・ひろゆき)
大阪大学大学院修士課程修了後、1992年、ソニーに入社。社内ネットワークの管理などを担当。同時に、日本UNIXユーザ会の中心メンバーとして勉強会・イベントの運営に携わった。ソニー退社後、インターネット総合研究所を経て、2008年に独立。現在は、フリーランスエンジニアとしての活動と並行して、多彩なITイベントの企画・運営も行っている。2012年には、「日本OSS貢献者賞」を受賞
ピクシブ株式会社 モバイルアプリケーションスペシャリスト
安生 真氏
米国メリーランド州立大学を卒業後も滞米。約9年間の滞在期間後半には、パブリックスクールの技術課でWebエンジニアに従事。外部開発者としてGoogle Desktopの開発に関わり"開発者殿堂"入り。帰国後、株式会社ケイブに入社。『日本Androidの会』では設立メンバーとしてかかわり、現在はコミュニティ運営委員の委員長。ケイブ退職後、フリーランスとして様々な開発プロジェクトに携わる
法林 今回は、『日本Androidの会』設立メンバー兼理事として有名な安生真さんに登場してもらいます。わたしと安生さんの縁は、ガジェット好きのためのイベントプロジェクト『Gadget1』がきっかけでしたよね。よくよく考えてみたら、お互いあんまり昔の話はしたことがなかったんですが、さっき編集部から「Wikipediaに安生さんのページがありますよ」と見せてもらって、思わず読んじゃいました。
安生 そうなんですよ。僕自身もちょっと前に知り合いから「何かWikipediaに載ってるよ」って言われて初めて知りました。誰が書いたのか予想もつかないんですが、これがけっこう本当のことを細かく書いてくれていて、書かれた当人の方が「すごいなぁ」と思っているんです(笑)。
例えば「Twitterでは、主にアニメの実況をしていることが多く、『Androidに詳しい人だと思ってフォローしたら驚くほどアニメオタクだった』という印象をよく持たれる」なんてことまで書いてあって、「よく知ってるなぁ」と。ただ、一応断っておくと、ゲームに限らずマンガ家やアニメーターなど、エンターテインメントの作り手はわりと載りやすいようですよ。
法林 何か仕事のこととか、経歴についても情報満載ですよね。読んでびっくりしたのはアメリカに長くいた、という情報。
安生 自分でも意外でした(笑)。だってもともと英語は苦手でしたし、よくある留学願望とか持っていたわけじゃないし。
法林 では、なぜアメリカへ?
安生 じゃあその前に、早めに僕流の「長生きする技術屋3つの条件」を挙げちゃいますね。アメリカの話もこの条件に絡んでくるので。
法林 分かりました。では3つの条件を教えてください。
安生 ちょっと変な言い回しになりますが......。
- 【1】 「失敗しても死なない」のなら、挑戦すべき
- 【2】 俯瞰の目線で物事を見る
- 【3】 「領域軸」をブラしまくる
「失敗しても死なない」のなら、やったもん勝ち
法林 アメリカの話は1番目の条件にリンクしてきそうですね。
英語は苦手だった安生氏だが、ゲームに関する情報をリアルタイムに知りたい一心で渡米を決意
安生 そうです。実は僕、プログラミングを小6で始めたんです。当時としては珍しい部類ですよね。で、当然のようにゲームが大好きになり、「どうしてもゲームの作り方を知りたい」という想いが膨らんでいき、ゲーム系の専門学校に入った。
法林 ストレートに大学進学ではなくて? まぁ確かに、今は分からないけど10年以上前とかだと、大学でゲームの作り方を教えてくれるところなんてないですもんね。
安生 そうなんです。まぁ親には猛反対されましたけど、大事なことは自分で決めちゃうタイプなので。で、その専門学校にはすごく感謝しているんですが、一方で90年代後半にもなるとゲーム関連の技術でも、日本ではなくアメリカから最先端のものが発信されるようになっていたんです。
法林 ネットが浸透し始めていたころですものね。
安生 ニュースをネットで手に入れることはできましたが、リンクをたどると詳細は全部英語で書かれている(笑)。日本語に翻訳されたコンテンツがアップされるまで、それなりに時間が掛かっている時代でしたし、「どうせ英語を読んでも分からないし、勉強しなきゃならないなら行っちゃおう」と。
法林 そういう背景があるから、「死なない程度の挑戦ならば、した方が良い」というメッセージが出てきたわけだ。
安生 はい。結局、アメリカの言葉にも文化にも、なかなか僕はなじめずにいましたが、行って正解でした。専門学校と違って、OSやコンパイラ、データ構造やアルゴリズムなど、コンピュータサイエンスの基礎をアメリカの大学で学んだことは、後々すごく役に立ちました。「なじめないなぁアメリカ」って思ってたくせに、気が付いたら勉強するのが好きになって、あっという間に卒業した感覚だったし、在学中も教授の紹介でJavaとかFlashの請け負い仕事をインターンでしてましたし......そんなこんなでアメリカに9年いたんです。
法林 「なじめない」のも事実だけど、楽しくて夢中だったのも事実、ということ?
安生 変な性格なんですよ、きっと。ただ、「なじむ」か「なじまないか」という分け方とは別次元で、勉強になったのは疑いようもない事実。それは技術面だけじゃなくて、例えば「自己主張しないヤツはアメリカじゃダメ人間扱いなんだな」とか。
法林 分かります。そういう人たちしかいませんからね(笑)。
安生 反面、日本人にはない居心地の良い部分もあって、たとえば「理屈さえ通してしまえば、個人主義の国なので皆が当たり前に放置しておいてくれる」とか。
ムチャ振りに応え続けて醸成された、今の「安生真」
法林 なるほど、ちゃんと主張して、その理屈を通す努力をしてしまえば、自由を確保できる。それってエンジニアにとってはありがたい環境ですね。じゃあなぜ日本に帰ってきたんですか?
安生 あっという間のようだったけれども、気が付いた時には渡米9年目。「これ以上ここにいたら、自分もアメリカ人みたいになっちゃうかも。それはイヤだなぁ」って。
法林 ひどいこと言いますねぇ。でも、何となく共感もする(笑)。やっぱり、本質的にはアメリカになじんでいなかったんですね。帰国後はまたゲームの世界に?
ゲームエンジニアが過小評価される中、高度な技術を扱うゲーム開発に魅了され続ける安生氏
安生 そうです。コンピュータのことを一通り勉強して、ゲームと関係ない請け負い仕事も経験したからこそ、「やっぱりオレはゲーム」と(笑)。それにアメリカの場合、優秀なエンジニアほどゲーム業界に行きたがる傾向があって、それを教授が嘆いていたりする状況でした。日本は今だってゲームエンジニアが軽視されがちなのに、向こうはそうじゃない。この違いはゲーム製品の差になって出ていました。例えば3Dのシューティングゲーム(FPS)を作ろうとしたら、技術的には相当高度ですからね。
法林 わたし自身はゲーム作りに詳しいわけじゃないけれど、その道のプロに聞くと皆言いますね。「プログラミングの知識だけじゃ通用しないくらい高度だ」って。数学とかも詳しくないと作れないモノがあったり。
安生 ゲームの種類によっては、物理学も分かっていないとダメだったりもします。
法林 何だかんだ言って、アメリカにいた9年での経験は多様で中身も濃かったんですねぇ。Googleとの出会いもアメリカにいたころでしょ?
安生 そうです。Google Desktopに外部開発者として加わることができたのはラッキーでした。ただ、これって当時の仕事とは関係なくて、かなり趣味として向き合ってた感じですけどねぇ。
法林 趣味的にやっていたのに開発者殿堂入りを果たしちゃうんだからスゴイ(笑)。じゃあ、Android OSとの出会いはいつですか?時期的にはきっと帰国後ですよね?
安生 帰国後にケイブに入社していたころです。ケイブではガラケーのモバイルゲームの開発をしていました。で、ある時突然、「モバイル知っていて、Googleの技術も知っているんですよね? じゃあAndroidやらない?」という、かなりユルいオファーをいただきまして(笑)。僕の方も、あんまり考えもせずに「良いですよ」って。
法林 そのノリはユルい。引き受け方もユルい(笑)。
安生 逆に、「えっ、僕で良いんですか?」なんて言ったりしてましたからね。でも、タフな場面もあったんですよ。Androidの開発者交流会というのが開催されて、そこでAndroidを用いた成果物を何か作らなきゃいけないことになり「ええ!? どうしよう」とも思ったんですが、皆の前で発表するからにはしっかりしたモノを出さなきゃいけない、と考えてケイブで作っていたモノを改良して持って行きました。ほかの発表者の方々も高度なものだったのですが、僕の作ったものは見た目のインパクトはかなりあったようで、結果的に僕の作品が目立っちゃう感じになっちゃいました。
法林 「GoogleがOSを? ほんとに流行るの?」みたいな空気だった時期に、きっちり作り込んでいくあたりが安生さんらしさなんですかね?
安生 ドM技術者なのかも(笑)。完全にアウェイな状況とか、大好きですし。
(次ページに続く)>>続きはエンジニアtypeへ
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