さくらインターネットが「天草Xアスロン2016」でIoT実験! その開発の舞台裏をレポート
アウトドアスポーツイベント × IoT
「きっかけは正確に覚えていませんが、当社代表の田中邦裕とAma-biZ(天草市の事業者支援拠点)の野間英樹さんがIoTを使いたいという話は以前からしていたようです」と話すのは、さくらインターネット IoT事業推進室長の山口亮介氏。
IoTはいろいろなことができると思われがちだが、目的を決めなければ何も始まらない。「大会3か月前の4月初めにFacebookで天草の皆さんに挨拶し、まずイベントの特性や運営側の課題を聞くことから始めました」(山口氏)。
天草Xアスロンでは、シーカヤック、SUP(スタンドアップパドル・ボード)、MTB(マウンテンバイク)、トレイルラン、パラグライダーの5種目が行われる。1人で全種目をこなすフルエントリー、チームでのリレー形エントリー、1種目から参加できる個人エントリーと参加方法はさまざまだが、倉岳町一帯で行われる複合競技のため、参加者が全体を捉えにくい。
たとえば5競技のうちシーカヤックはメイン会場となるビーチで一斉にスタートするため応援者も多く盛り上がりやすいが、空の競技であるパラグライダーは離陸して1kmも飛ぶと陸からは選手の姿が見えなくなり、声援も届かない。
もし、今、どの選手がどこにいるかをリアルタイムでトラッキングできれば、大会の一体感が醸成され、選手のモチベーションが向上するだけでなく、安全の確保、結果集計時間の短縮など、大会にもたらす効果は絶大である。
そうした運営側の話から、競技中の「選手の位置の特定」と観戦の一体感を醸し出すリアルタイムの「情報共有」というニーズが明らかになった。
パラグライダーの飛行状況をリアルタイムで表示
しかし、大会までは3か月しかない。全種目のシステムを開発するには時間がなさすぎる。検討した結果、最も運営側の負荷が高いパラグライダーに特化したシステムを作ることにした。
天草Xアスロンのパラグライダーは、離陸地点から5km内にある「パイロン」という18か所のエリア(半径150mのシリンダー状の区域)を通過すると得点が入り、その合計点を競い合う「パイロンレース」だ。選手は自分で用意したGPS機器を着けて飛び、移動経路を記録。競技終了後に選手から提出されたフライトデータを運営スタッフが吸い上げ結果を集計し、初めて順位がわかるが、このシステムが選手によってばらばらで、集計に3~4時間かかることもあるという。
そこで「パラグライダーのパイロットの位置情報などをリアルタイムでネットワークに上げ、それをクラウドで解析して得点の自動化と可視化をするシステムの開発に着手しました」(山口氏)。
「電波法」の壁にぶつかるも、心の折れないメンバーたち
目的は決まり、すぐにイメージ画面を作って運営側に送った。システムは、2016年2月に発表した「さくらのIoT Plaform α」の通信モジュールが3G/LTEに対応しており、これにセンサーを組み込んだ機器を作ればいいと簡単に考えていた。ところが、1週間ほどして根本的な問題にぶつかる。「この通信モジュールは法律上、陸上無線局に当たり、パラグライダーなど飛行するものに搭載して電波を発することは通信事業者(キャリア)ですらできないことがわかりました。日本独自の電波法に抵触してしまうのです」(山口氏)。
4月中旬、スカイプでのミーティングでこの話を運営側にすると、「今回は無理でしょう」という言葉がもれたという。しかし、「ここでやめようと言うメンバーは一人もいませんでした」(山口氏)。
その日の夜のうちに代案を検討し、920MHzの周波数帯を使う「特定小電力無線」に切り替えることを決めた。「サブギガ帯」と呼ばれるこの周波数帯を使えば特別な免許はいらない。しかも、キャリアに払う通信費の従量課金がないため、IoTの運用で必ず問題となるランニングコストを抑えられるというメリットがある。事業モデルの研究材料としても取り組みたいテーマだった。
広域無線に対応した「LoRa」を採用、怒涛の開発を開始
無線方式についても新たな検討が必要になった。技術本部 副本部長でエンジニアの江草陽太氏が説明する。「パラグライダーの移動距離は数kmに渡ります。したがって通信が速くとも近距離しか対応しない従来のFSK方式では電波が届きません。スペクトラム拡散型で長距離伝送ができるLoRa(ローラ)という新しい変調方式を採用すれば、距離の問題を解決できると考えました」。
このLoRaを搭載したセンサーデバイス(便宜上「子機」と呼ぶ)を選手に着けてもらい、そこから発せられる位置情報などを3G/LTE/LoRaに対応させて改良した「さくらのIoT Platform α」(便宜上「親機」と呼ぶ中継器)に送る。そこをゲートウェイにして、北海道にある同社の石狩データセンターに送り(ここまでは閉域網)、データ処理をするという流れだ。
しかし、LoRaを採用するということは、専用の基板を新たに作らなくてはならないということである。開発チームはその日からLoRaのハードウェア/ソフトウェアの設計に注力することになった。コードネームは「ふらいんぐうぃっち」(空飛ぶ魔女)。
また、位置情報の計測についても独自のシステムを開発した。
「GPSでは緯度と経度は正確に出せますが、パラグライダーで重要な高度の測位はやや弱いんです。そのため親機と子機に気圧計を入れ、その差分から高度を計るようにしました」(江草氏)。
LoRaと気圧計、温度計などを搭載する基板を発注したのは6月15日。大会の約1か月前になっていた。業者には「早くしてください」とお願いし、7月4日に基板が納品された。それを確認してファームウェアの開発作業に取り掛かったのが7月8日。大会3日前の7月14日、ようやく30個の「ふらいんぐうぃっち」ができあがった。ただしこの時点ではむき出しの状態。「基板を作ることに夢中になり過ぎて外装のことを忘れていたんです。天草に行く前日にあわてて雑貨屋でポーチを購入し、単三電池をつめました。これで選手の皆さんに着けていただく装備がようやく完成しました」(技術本部 アプリケーショングループの関根隆信氏)。
天草で大雨に見舞われるも中継器を手作りして最終調整
山口氏、江草氏、関根氏の3人が天草に着いたのは大会2日前の7月15日の夕方。この日初めて実行委員長の浦川三喜晴さんや競技委員長のリック・ブレジナさんなど現地のスタッフと顔を合わせた。
会場となる倉岳町のえびすビーチや倉岳山を会社から持ってきたドローンで撮影しながら、電源が近くにあり通信モジュールが立てられる中継地点を探した。見晴らしのよい山頂の公園の東側と西側に1つずつ、えびすビーチの西側に1つ、最後の1つはビーチの東側にある民家に頼み込んで置かせてもらった。
実は7月16日の天草は1時間に100mmもの雨が降る最悪の天候だった。手作りの中継器はビニールの密閉袋で止めていたが、テストする時間はなくなり、夜になった。
宿泊した民宿で、最後の調整に取り掛かかる。「サブギガ帯での通信は、帯域を広くして速度を速めようとすると距離が縮むという特徴がありました。本来はフライトテストを十分して検証しなければなりませんが、それも難しい状況でしたので、勘に頼りながら、慎重に通信パラメーターを調整していきました」。(江草氏)
ファームウェアを書き換えて統合テストが完了したのは深夜2時頃だった。
いよいよ当日、パラグライダーマップは成功するか?
大会当日、7月17日の朝を迎えた。前日の雨は上がり、会場のビーチは選手とボランティア、観戦者でにぎわっていた。パラグライダーにエントリーした選手は49人。全員の分はなかったが、可能なかぎり機材を着けてもらった。
選手に着けた小型省電力無線(子機)→さくらのIoT Plaform αの改良版(親機、中継器)→石狩データセンターへと集められた情報はJSONのフォーマットではき出し、ウェブ上にマッピングされる。
山頂の離陸ポイントから選手が次々と飛び立って行った。パイロンはあらかじめ地図上に表示してあり、競技中の選手ごとに現在の緯度・経度、高度、温度、速度、そして移動経路が刻々と表示されていく。
東京で見守っていたのは技術本部 アプリケーショングループの山田望氏だ。「パラグライダーのアイコンは高度に応じて大小変化するようにしていたのですが、きっちり表示されました」(山田氏)。
江草氏と関根氏は、ビーチのテント下でシステムを監視、山口氏は手作りの中継器が倒れていないかを確認するため、ときどき山に登った。「LoRaの通信は予想していたより安定していました。選手が時に風を待ちながら上空に滞在し、ここぞというときに移動してパイロンに向かっていく様子が記録されました」(江草氏)。
短期間のプロジェクトでメンバーの苦労は多かったものの、結果は成功だった。
競技委員長リックさんの話「競技のライブデータをオープンに」
今回の取り組みについて、天草Xアスロンの競技委員長を務めるリックさんこと、リック・ブレジナ氏にも話を聞いた。
リックさんはカナダ出身。マサチューセッツ工科大学(MIT)で物理の博士号を取り、現在は天草市在住。海と山が近い倉岳町の地形がアウトドア競技に適していていることに気づきXアスロンを企画、地元のアウトドア仲間と一緒に作り上げて5年目になる。パラグライダー競技の負荷軽減の必要を知らせたのもリックさんだ。今年は全国から139名がエントリー、ボランティアは140人に上り、Xアスロンが成長したことを実感した中での今回の取り組みだった。「一時は間に合わないと思ったのですが(笑)、よくがんばって開発されました。これはプロトタイプですので全選手のデータが取れたわけではなく、公式データとしては扱いませんが、リアルタイムトラッキングが実現したことで、来年以降、選手のフライト記録がスムーズに取得できるようになればいいなと思っています。今回も公式データには選手の個々のGPSデータを使ったので3時間40分かかったのですが、理想は競技終了と同時に結果がわかることです。また、今後は情報のリアルタイム精度を上げたり、パラグライダーの向きをアイコン表示して観戦者にわかりやすい表現を工夫したりすれば、良いサービスになると期待しています」。
さらにアウトドアイベントとIoTの関係において重要なことを語ってくれた。「私たちが必要としているのは競技のライブデータです。リアルタイムで選手の状況を取得でき、それがオープンな形で提供されることで、多くのアプリケーションが生まれることが望ましいのです」。
アウトドアスポーツが盛んなヨーロッパでは、競技データのAPIが提供されており、アプリも多様。日本もそんな状況になれば、参加者や観客がもっと増え、Xアスロンの認知につながるのではないかという。
実験の成果とIoTへの手ごたえ
今回開発にかかわったさくらインターネットのメンバーは、基板1人、ファームウェア2人、サーバーサイド2人、フロント/バックエンド3人、全体管理1人の合計9人。3か月の短い間だったが振り返ってみると皆「面白かった」と語る。今後のIoTを進めるうえで大きな手ごたえを得ることができ、成果はたくさんあるという。「子機の部分は大変でしたが、中継器以降の部分はさくらのIoT Platform αがあったために比較的簡単にでき、価値を再認識しました」(関根氏)。「特定小電力無線の機材は消費電力が本当に小さく、コスト面での有効性もわかりました。また、LoRaのハード/ソフトのノウハウや制度面での知見が得られたことも大きいですね。さらにウェブの構成から通信モジュールの稼働にいたるまで、本当に多くのサンプルが得られました」(山口氏)。
山口氏はまた、IoTを実際に活用する側との関係についても語った。 「私はIoT(Internet of Things)ではThingsの部分が大事だとよくお話しするのですが、今回は素晴らしいThingsがあったからこそ、このプロトタイプを開発できたのだと思います。天草Xアスロンで取り組んだことは、われわれにとって大きな実績となります」。
心に残る天草での出来事
7月17日、全競技が終わった後、倉岳山の山頂でひとり、中継器の後片付けをしていた山口氏。そのことをFacebookに書いたところ、実行委員長の浦川さんが片付けを手伝いに来てくれた。「自分よりもずっと忙しかったはずなのに、なんて気遣いなんだろうと感激してしまいました」。
技術開発側と他分野のエキスパートがタッグを組むことになるIoT。両者の関係構築のあり方も、プロジェクトの行方を左右するだろう。新しいチャレンジの舞台裏では、新しい絆が自然に生まれるのかもしれない。
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