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  インタビュー

「前例がないことへの挑戦」ー まつもとゆきひろ氏インタビュー 15周年を迎えた「Ruby City MATSUEプロジェクト」のこれまでとこれから

2021年6月17日(木)
伊藤 隆司(Think IT編集部)

15年やってきた中で、松江市・島根県全体の変化を、どのように感じていますか。また、手応えが感じられた出来事はありましたか

  • まつもと:2006年に比べると、Rubyに関わる企業数は、松江市だけでも10倍以上になっているので、そういう意味ではRubyが一般化したというのもありますし、「島根にパソコンなんてあるわけがない」というのをご存知ですか。2000年に公開された「デジモンアドベンチャー」という映画の登場キャラクターのセリフですが、それから十数年が経過してようやく、ここまで来たという感じですね。

    2006年に「Ruby City MATSUEプロジェクト」を始めて数年経った頃から、特にエンジニア界隈で「Rubyの島根」などと言われるようになり、自治体のPRとしては大成功だなと感じています。

    島根県や松江市に進出してくださったIT企業も30〜40社以上あるので、その点は評価できる一方で、「島根県全体のGDPの中でITの割合がどれくらいあるのか」というと、だいぶ誤差があります。IT企業は1つ1つが小さいので「産業振興としては成果を認められない」と批判的な見方をされる向きもありますが、事実としてその一面はあるだろうなと感じています。

    実際に、県内GDPのうちITの割合はひと桁くらいです。それが倍に伸びたとしても1%や2%。「そこに税金を使う価値があるのか」と、県議会や市議会で発言される方もいらっしゃったという話は聞きますが、そうは言っても、産業振興は「やれば必ず成功する」というものでもありません。そういう意味では「成果を上げている」と好意的に見てくださっている方のほうが多いと認識しています。

さらにこれから15年続けていくとしたときに、ゴールとして何を目指すのかという構想があれば教えてください

  • まつもと:だいぶ前から考えているのは、「どうすれば継続していけるのか」ということです。

    松江市が「Ruby City MATSUE」とRubyの名前を付けて産業振興事業を始めたときの松浦正敬前市長は、今年の春に退任され、新しく上定昭仁市長が就任されました。また、2007年に島根県知事に初当選され、Ruby City MATSUEプロジェクトに途中から参加いただいた溝口善兵衛前知事は、2019年に知事を退任し、新しく丸山達也知事になりました。

    何が言いたいかというと、知事や市長は代わるものです。新しい知事や市長が、前の知事や市長と同じぐらいRubyに興味関心を持ってくださるかは分かりません。そうすると、あまり自治体と「おんぶに抱っこ」の状態だと、知事や市長が代わったタイミングで、今までの努力が水の泡になってしまう可能性があるわけです。ですが「エンジニアには支援が必要だ」「エンジニア同士の交流により、エンジニア自身の生活のクオリティが上がる」というのは大事なことなので、 県や市の方針に左右されないようにする必要があると思っています。

    松江市はここ10年、オープンソースラボを運営してくださっていて、2018年には全面改装してだいぶ綺麗になっていますが、新しい市の体制によっては「他のことに使うから」と追い出されてしまう可能性もあります。「ここを追い出されたので、Rubyに関する活動はなくなりました」というのはあまりにも惜しいので、オープンソースラボを活動拠点にしてきたしまねOSS協議会のような団体や、ずっと勉強会を開催してきた有志によるボランティア組織もあるので、毎回場所を変えても継続できるように備えておかないといけないなとは考えています。

    究極のゴールは、たとえ知事や市長さんが変わっても、 私が島根県以外のどこかへ去っても、 島根県・松江市に住んでいるエンジニア同士が変わらずに助け合える環境をしっかりと構築する。そのことを頭の片隅において、日々活動していきたいです。

「リアルなエンジニアの交流」というお話しで、今、コロナ禍で多くのイベントがオンライン中心になってきている中、どのように開催していくかが課題になっていると思います。リアルなら東京と松江で地域差を出せますが、オンラインだとなかなか難しい。オンライン上で地域差を出すには、どのようにすれば良いか、まつもとさんからアドバイスはありますか

  • まつもと:コロナ禍でなくても、東京で開催するイベントは、遠慮なくオンラインにすれば良いと思っています。東京はすごく便利なところですが、東京以外の人をだいぶ切り捨てているか、あるいは、東京ではない人に、だいぶ負担を強いているのですよね。

    最近は減りましたが、私がさまざまな方とメールなどでお話しをしていると「ぜひ、お会いしたいです!」と言われるのですが、「それでは、島根からの飛行機代を負担していただけるのですか」と聴くと、「東京に住んでいると思っていました」とおっしゃられるケースが結構ありました。イベントの主催者側は、スピーカーをするような人たちは、みな東京に住んでいると思いがちなのですね。

    東京にいる人たちは、自分たちが恵まれていたということを、あまり意識していないのです。地方にいる人たちは経済的な負担もあるので、それほど頻繁に東京へ行けなかったりするので、必然的に得られる情報量は限定されるのではないかと思います。

    そういう意味で、東京で開かれるイベントのほとんどをオンラインにすれば良いと思ったのです。それこそ、テクノロジーの進化で、場所に関わりなく、すべての人が同じ恩恵を受けられるようになってきましたからね。

    逆に、ここ数年はコロナ禍でイベントの地方開催は難しいと思いますが、観光とジョイントした形でイベントを開催するのはどうかと思っています。日本で開催されている「RubyKaigi」は、ここ数年ずっと地方で開催しています。それは、地方の人たちが参加しやすいというよりも、むしろ「その場所に行き、その場所ならではの体験ができる」ことを前面に押し出しています。「イベントに参加したついでに、観光もしていってください」という建て付けでイベントを開催するのです。その場所に行った甲斐がある地方のカンファレンスを開催しているのですよね。

    このような、物理的に現地へ行くことに意味のあるイベントは地方で開催し、どこでやっても良い(変わらない)ものはオンライン開催にすれば良いと思います。

まつもと氏はインタビュー中、終始にこやかにお話しいただいた

リアルでは最後になりましたが、2019年に福岡で開催されたRubyKaigiは、参加者が1,500人も集まり、すごく盛り上がっていました

  • まつもと:福岡県もすごく協力してくださいました。それは、日本全国から1,000人を超える人たちが集まり、その人たちが泊まる・観光する・食事をすることで大きな経済効果があると分かっているからです。松江ではRubyWorld Conferenceを毎年11月に開催していますが、その際はたくさんの方に松江に来ていただき、宿泊や観光で産業振興にも貢献できました(編集部注:2019年はリアル開催。2020年は12月にオンラインで開催された)。

確かに、イベント主催者が1人勝ちというよりも、さまざまな人たちを巻き込んで、みんなが楽しんで盛り上がれる建て付けにできると良いですよね!

  • まつもと:このようなイベントであれば東京で開催しても良いのですが、東京に住んでいる人は多いですし、東京で開催すると、さらに東京に人が集まってしまうだけなので、あまり面白みがありません。だから、独自性のある土地柄で、地方の人たちが「めったに参加できないけど、○○でRubyのカンファレンスやるなら行ってみようかな。ついでに観光でもして楽しんで来よう」といった建て付けだと、やりがいのある形になっていくのではないでしょうか。

    あと、イベントがオンライン化されたことで一番失われたものは「エンジニア同士の交流」です。講演自体はリアルタイムで聞かなくても後からオンラインでほぼ再現できますが、エンジニアが廊下で立ち話しをしたり、部屋に集まって議論したりとか、そういったことはリアルでないとなかなか難しいですから。

    私も、いくつかオンラインカンファレンスに参加しましたが、このような交流を再現できたことはほとんどありませんでした。これをどうしていくかというのは、大きな課題だと思います。いろいろなWebサービスで再現しようという試みはありますが、今のところ、あまりうまくいっていないようですね。

最後に、Think ITの読者であるエンジニアへ向けて、メッセージをいただけますか

  • まつもと:私自身ずっと考えていたことですが、大事なのは「選択肢」だと思っています。一面的に決められるものはあまりなくて、東京に住むか地方に住むかという話でも、地方に住むがゆえに諦めなくてはいけないものも、いくつかあるわけです。

    例えば、 アイドルの追っかけをしている人たちは、多くが東京を選ぶのではないでしょうか。島根に住んでいる人たちも、アイドルのコンサートに行こうと思ったら東京なり、大阪なり、広島なり、わざわざ飛行機などに乗って行かないと楽しめません。ほとんどのアーティストは島根県にはめったに来ないので。

    一方で、地方には通勤時間や家賃、自然環境などプラスになることもたくさんあるので、「その中で何を大事にして、何を諦める」のか。トレードオフですよね。エンジニアは必ず、このトレードオフに直面します。

    「どこに住むか」を決断するにもトレードオフは発生しますが、本人の望まない形で、それが強制されたりしなければ良いですね。「コンサートを愛しているから東京に住みたい」という人は東京に住めば良いし、「もうちょっとのんびりした所に住みたい」という人は、島根でもどこでも、住みたいと思うところに住めば良い。「東京の会社に就職したのだから東京に住むべき」とか「IT業界に身を置いたからには大都会に住まなければならない」とかではなく、複数の選択肢を持って自分で選択できるようにしておくことが大事だと思います。

    とは言え、東京にも地方にもそれぞれプラスマイナスがあるので、それをどのようにトレードオフと捉えるかは人それぞれですが、純粋に仕事だけを考えるなら、テクノロジーの進化で場所の制約はだいぶ減ってきていますし、これからも制約はどんどんとなくなっていくのではないでしょうか。初めにも言いましたが、今回のコロナ禍で、社会が良い方向に前進する圧力がかかって、大きな変化が起きているのではないかと思います。

    コロナ禍以前から、島根に地縁のある方、ご家族や親戚が島根にいらっしゃる方などは、島根への移住を積極的に考えてくださり、過去に私の会社を含めて、島根のIT企業へ転職して来てくださった方はたくさんいらっしゃいます。私自身の期待でもあるのですが、今後は「縁もゆかりもないけど、Rubyがあるから島根に引っ越そう!」という方が増えてくれると嬉しいですね。

まつもとさん、ありがとうございました!

著者
伊藤 隆司(Think IT編集部)
株式会社インプレス Think IT編集部 担当編集長
IT系月刊誌、資格系書籍、電子書籍、旅行パンフレット等の企画・編集職を経て現職。Think ITのサイト運営と企画・編集、「CloudNative Days」の運営に携わりながら、エンジニア向け書籍の企画も手がける。テクノロジーだけでなく、エンジニアの働き方やキャリアップなどのテーマに造詣が深い。

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