PR
連載 :
  インタビュー

「前例がないことへの挑戦」ー まつもとゆきひろ氏インタビュー 15周年を迎えた「Ruby City MATSUEプロジェクト」のこれまでとこれから

2021年6月17日(木)
伊藤 隆司(Think IT編集部)

はじめに

「ITエンジニアが集まる街」として、長く注目を集めている松江市。昨今のコロナ禍において、特に「二拠点生活」「移住」「ワーケーション」といったキーワードで再注目されているようだ。

その背景にあるのは、2006年から松江市が取り組んでいる「Ruby City MATSUEプロジェクト」の存在だろう。プログラミング言語「Ruby」を核としたIT産業振興を開始し、本プロジェクトをきっかけに松江市に進出したIT企業は40社以上にも及ぶ。松江市の支援制度も手厚く、その内容も高く評価されている。

また「Ruby City MATSUEプロジェクト」で忘れてはいけないのが、Rubyの父、まつもとゆきひろ氏だ。「Rubyといえば松江」というブランディングにまつもと氏の存在は欠かせない。

なお、松江市における「Ruby City MATSUEプロジェクト」の取り組みと、本プロジェクトをきっかけに松江へ開発拠点を開設したIT企業の取り組みについては、下記2本の記事を参照いただきたい。

そこで本記事では、1997年より松江市に移住し、2006年のプロジェクト開始から15周年を迎えた「Ruby City MATSUEプロジェクト」に関わり、現在でもITエンジニアに強い影響力を持つまつもとゆきひろ氏に、「プロジェクトのこれまでとこれから」について聞いたロングインタビューを紹介する。

冒頭の画像は、宍道湖に並び松江市のシンボル、国宝松江城。全国で12城しか残っていない現存天守の1つだ。

まつもとゆきひろ氏ロングインタビュー

コロナ禍も2年目になりますが、最近はどのような活動をされていますか

  • まつもと:技術的な側面から言うと、私の仕事は大きく3つに分かれています。1つ目は、今後Rubyをどのように進歩させていくかという方向性を決めたり、新機能を追加する際の取捨選択をしたり、といったRubyのデザインの仕事です。

    Rubyの開発者コミュニティが随分と育って来たので、 私自身がプログラマーとしてRubyに手を加えることはほとんどなくなってきました。Rubyに追加する機能を決めたら、あとはコミュニティのメンバーが実装してくれるので、Rubyのデザイナーやプログラマーとしての仕事はずいぶん減りました。実際にRubyに関してはデザインばかりしている感じですね。

    一方で、組み込みを意識した「mruby」については、私がリードプログラマーとして開発を続けています。mrubyは実装の規模も複雑さも、利用されている環境も本家のRuby、いわゆる「CRuby」と言われている、普段皆さんが使用しているRubyに比べると大分コンパクトなプログラムですが、そちらのリードプログラマーとしてソフトウェア開発をしています。これが2つ目です。

    3つ目は、さまざまな企業の技術顧問として相談に乗ったり、そのほかに講演をしたり、原稿を書いたりといった仕事ですね。コンサルタントと言うと大げさですが、「ソフトウェア開発に関する問題について、一緒に考えましょう!」というようなことをしています。

    あとは、とにかく情報収集。新しい情報を知らないと、適切な判断ができませんからね。ブログやWeb記事などを読んだりしていますが、傍から見ると遊んでいるようにしか見えないという時間があったり(笑)。このようなことを、あるときは開発者、あるときはデザイナーといった帽子を適宜被りつつ切り替えながら、1日を過ごすという感じになりました。

    一昨年までは随分と出張が多くて、 海外にも年に5、6回、あとはほぼ毎週のように東京へ行く生活をしていましたが、コロナ禍の始まった昨年の3月ぐらいからはずっと島根にこもって、自宅で仕事をしています。

まつもとゆきひろ氏

東京に出張していた頃と今と、どちらが楽しく過ごされていますか

  • まつもと:今の方が圧倒的に快適です。出張をしなくなって気づいたのは、意外と移動で疲れているんだなということ。自宅にいながら、時間になったらPCに向かってオンラインで打ち合わせができるのはすごく楽で良いですよね。

    コロナ禍以前から、私の活動そのものはオンラインでできていたのですが、お客さんをはじめ、情報を受け取る側が準備できていなかったという理由でオンラインに移行できていませんでした。それがコロナ禍の感染症対策という形で半強制的にオンラインに切り替わったので、これが社会が良い方向に進む圧力のような形で、これからもずっとオンラインが主流になっていくと良いなと思っています。

    あと、私は24年前から島根県にいるのですが、せっかく田舎にいるのにオンラインでは済まない用事で東京へ行って打ち合わせをするということが結構な障害になっていましたので、コロナ禍でその大きな障害の1つが小さくなったというのは感じています。商習慣にもこれが定着すると、地方分散や、地方に住みたいけれど仕方なく東京にいるといった人たちが少なくなるのではないでしょうか。とは言え「都会の方が社会資本がしっかりしているから良い」という人は当然いるので、そういう人は東京なり大都会なりに住めば良いと思います。

    「本当は田舎暮らしがしたいけれども会社が許してくれない」とか「組織がー」とか「仕事がそうは行かないからー」といった理由で、しぶしぶ東京に住む人が少なくなると良いですね。

ここから、本題に入りたいと思います。2006年に「Ruby City MATSUEプロジェクト」が立ち上がり、今年で15年になります。当時、まつもとさんはどのような思いでプロジェクトに協力したのでしょうか

  • まつもと:私は玉造温泉というところに住んでいますが、当時は、まだ玉湯町といって松江市ではありませんでした。それが「平成の大合併」で玉湯町が松江市と合併されて松江市になったというのが2005年です。その数ヵ月後に市役所の方が私の会社にいらっしゃって、「Rubyを中心にソフトウェア・ITで産業振興をしたい」とおっしゃったのです。後で話を聞いたのですが、松江市の産業は観光が中心で、農業もあって、工場誘致にも力を入れているが、なかなか難しいという状況でした。つい先日退任された、前松江市長の松浦正敬さんが「観光以外の産業振興がなかなかうまくいかない」と悩んでおられたときに、島根県内のIT企業の8割が松江市にあることに気がついたのです。地方だと、IT産業の主要な顧客は公共団体・地方自治体が多いのですよね。

    そうすると、松江市役所と島根県庁のある松江市は「IT産業にとって仕事がある場所」です。そういうこともあり、産業振興にITはすごく良いのではと思われたのですが、産業振興だけなら、誰でもやれるわけです。

    つまり、松江市役所や島根県庁を相手に仕事している以上、パイが決まっているので、それ以上の伸びは期待できません。なので「それだけではない産業振興が必要だ」と市の職員の方が話しておられたときに、「松江市には市役所や県庁と仕事をしていない、Rubyやオープンソースとか、変わったことを中心にやっている企業と、Rubyというプログラミング言語を作った人が住んでいるよ」という話を聞いて「これはもしかしたら、グリップになるかもしれない」と私のところへ来られたようです。

    私は1997年に松江へ引っ越して来たので、当時は松江に住み始めて約10年ぐらいの頃でした。私はもともと松江ではなく鳥取県の出身です。松江と鳥取はそれほど離れていませんが、そういう意味で言うと特に島根県や松江にあまり郷土愛は感じていませんでした。「広い山陰地方の中では近いよね」くらい(笑)。

    なので、もし郷土愛を全面に出されて「地元がピンチなのだから、手伝ってよ」と言われても、それほど心を動かされなかったと思うのですよね。でも、松江市役所の方は「オープンソースなどを中心にして松江市の人達を助け、産業振興もしたい」とおっしゃった。当時、日本全国どの自治体を見ても「オープンソースを中心とした産業振興をする」なんて聞いたことがありませんでした。

    でも、Rubyを作った時点で、私はまだ島根県に住んでいませんでしたし、よく「Ruby発祥の地」なんて言われていますが、実際にRubyを作り始めたときは静岡県にいましたからね(笑)。

    今でこそ私は松江市に住んでいますが、 Rubyを開発している人はたくさんいて、私だけが開発しているわけではありません。私はその中のたくさんのグループのリーダーでしかないのです。リーダーがたまたま松江に住んでいるだけで、実際に手を動かしている人の多くは、松江市どころか、島根県どころか、下手すると日本にもいなかったりするわけですよね。

    そういった中で「松江の産業振興と言っても良いのか」と思ったのですが、 一方で、そういったことをやったという前例は世界的に見てもほとんどありません。

    例えば、オレゴンにはLinuxを開発したリーナス・トーバルズ氏が住んでいますが、オレゴン州の市長のひとりは「Linuxは今、オレゴンで作られています」と言っているくらいで、 産業振興のような動きはしていません。そんな世界的に見ても前例のないことをやってみようという人達の勇気に感銘を受けて「では、お手伝いしましょう!」となったのが当初の経緯です。

まつもとさんはプロジェクトでどのような役割をされていましたか。また、プロジェクトを通じて良かったこと、辛かったことを教えてください

  • まつもと:いざお手伝いすると決まったとき、「オープンソースを中心にIT産業を振興させようと思ったら、何が良いと思いますか?」とインタビューを受けました。役所の方で良いと思って行動しても、実際に支援してもらう側、オープンソースを開発している側にとって嬉しいとは限らないわけです。そもそも発案者がソフトウェア開発者でなければ何が良いのか分からないですからね。

    そこで、私からは「直接人と人が繋がれるようなことができると良い」と提案しました。ソフトウェア開発は場所を選びません。私自身、実際に当時10年ほど島根でRubyの開発に携わっていて、 ほとんど問題は感じていませんでしたから。

    しかし、自分1人だけで活動するのであれば何も問題はないのですが、エンジニアの研鑽という視点では、なかなか1人では難しい。そうなったときに、島根で何が問題になるかと言うと「技術者密度が低い」ことです。

    島根でソフトウェア開発をしている人や、Rubyを使っている人がいても、エンジニアの人口密度が低ければ、出会ったり集まったりする機会もあまり得られません。でも「リアルに会う」ことは、その土地にいなければできない。それならば、島根ならではということができるのではないか。それが全部オンラインだったら、島根である必要はないのですよ。

    当時からYouTubeはありましたし、オンラインで何とかする方法はあったと思うのですが、それでは松江市に恩恵がないわけです。もちろん、松江市がやる必要もない。そのため「リアルで会ってお互いに高め合えるようなプログラムと施設が必要」とアドバイスしました。施設について言えば、松江市が持っていた施設で使えそうな施設があったので「松江オープンソースラボ」を作っていただいたのです(編集部注:「松江オープンソースラボ」については、こちらを参照)。

    「松江オープンソースラボ」にはまつもと氏のパネルが設置されている

    エンジニアたちが集まって交流できる拠点ができたことで、ここ15年間、平日・休日問わずに勉強会やイベントなどが開催されてきたことが、島根県のエンジニアそのものの底上げに繋がって来たのではないかと思います。

    例えば、中学生向けにRubyのプログラミング教室を開催し、プログラミングに関心のある子ども達を増やしてきました。10年も経つと、そこで学んだ子どもたちが大学を卒業し、IT企業に就職したということが、ぽつぽつ出始めてきました。また、毎年開催しているRubyの国際会議「RubyWorld Conference」では、多くの企業に松江へ来ていただき、ビジネスとしてRubyを使う際の情報交換や情報発信をお願いするなど、この15年でさまざまなことに取り組んできました。

    近年では、島根県も「Rubyのことは、市と県で協力してやりましょう」と、一緒に色々なことにチャレンジしているところです。
著者
伊藤 隆司(Think IT編集部)
株式会社インプレス Think IT編集部 担当編集長
IT系月刊誌、資格系書籍、電子書籍、旅行パンフレット等の企画・編集職を経て現職。Think ITのサイト運営と企画・編集、「CloudNative Days」の運営に携わりながら、エンジニア向け書籍の企画も手がける。テクノロジーだけでなく、エンジニアの働き方やキャリアップなどのテーマに造詣が深い。

連載バックナンバー

Think IT会員サービス無料登録受付中

Think ITでは、より付加価値の高いコンテンツを会員サービスとして提供しています。会員登録を済ませてThink ITのWebサイトにログインすることでさまざまな限定特典を入手できるようになります。

Think IT会員サービスの概要とメリットをチェック

他にもこの記事が読まれています