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| シンクライアントの歴史 | ||||||||||
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そもそもシンクライアントシステムはどのように発想して開発されたのでしょうか。 私が知る限り、シンクライアントという言葉が世に出たのは1990年初頭であり、シトリックス社がマイクロソフト社のシングルユーザOSであるWindowsをマルチユーザで利用するために、Windows上で動作するサーバソフトウェア(WinFrame)とマルチユーザにアクセスするためのクライアントソフトウェア(ICAクライアント:Independent Computing Architectureクライアント)を開発しました。 この時、マイクロソフト社はWindows NTの開発真っただ中で、サーバOSに船出する準備を進めていました。 WinFrameは、Windows NT 3.51にマルチユーザ機能を付加し、ICAクライアントから複数ユーザでWindowsを使えるようにしたものです。一説では、マルチタスクやサーバOSとしてのWindows NTの開発規模が大きくなり、マルチユーザに関しては開発途中のWindows NTをマイクロソフト社がシトリックス社にソースコードライセンスを渡して開発させたともいわれています。 シンクライアントという言葉が有名になったのは、Oracle社のNCやサン・マイクロシステムズ社のJavaStationなどが発表された1996年です。同年にOracle社はNetwork Computer,Inc.という子会社も設立し、Apple社、IBM社、Netscape、Oracle、サン・マイクロシステムズなどによるOpen NC Profileというネットワークコンピュータ(NC)を作るガイドラインをオープンスタンダードとして策定しようと試みもありました。 ![]() 図2:シンクライアントシステム(JavaStation) この時代背景には、1980年後半から商用でもインターネットが利用されはじめたこともあり、インターネットワーキング(注1)がコンピュータシステムに大きな影響を与えた時代でした。
※注1:
インターネットワーキングとは、LANなどのネットワークを拡大・拡張していくという概念のこと。
一方、マイクロソフト社は「自社OSをあらゆる机の上で稼動させる」というスローガンのもと、シェアを拡大し、ほとんどのPCにマイクロソフト社のOSを搭載させるまでに至りました。ただし、マイクロソフト社のソフトウェアは表計算や文書作成などの実作業を効率よくできるようにしたものであり、ネットワークはあまり意識されず、スタンドアローンで十分でした。 もちろんその後、企業内においてもLANが普及し、マイクロソフト社のOSが搭載されたコンピュータは相互に接続され、ファイルやプリンタの共有も行われるようになりました。多くのPCが企業内で利用され、相互に繋がりリソースの共有なども行われていたため、企業内のPCの管理は困難を極め、どんどん煩雑になっていきます。 |
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