ルネサスのシニアディレクターが提案したレガシーなエンジニアの限界を打破する方法論を解説したセッションを紹介

AGL(Automotive Grade Linux)が2025年2月26日に開催したAll Member Meeting(AMM)から、ルネサスエレクトロニクス株式会社のシニアディレクターが行ったセッションを紹介する。これは「How to Tackle modern massive-scale HPC on the vehicle」と題された講演で、プレゼンテーションを行ったのはルネサスのHPC SoC事業部SoCソフトウェアイネーブルメント部シニアディレクターの宗像尚郎氏だ。
宗像氏はまず、2024年の自動車メーカーの売上と年ベースの成長率のグラフを使って業界の状況を解説した。ここでは特に成長率に注目し、トヨタ、VW、GMなどのトラディショナルなメーカーは高い売上を誇るものの成長率という点ではマイナスとなっている一方で、BYD、Chery Automobileなどの中国の新興EVメーカーが高い成長を遂げていることを説明。これが全世界的な傾向であるとして成長が続くEVメーカーとレガシーなメーカーが対照的な状況にあることを示した。
また市場の規模においても中国が最大となっていることを説明。ここでは市場からの高い需要に応えるように、EVメーカーが成長していることを説明した。
また中国では中国製の自動車を買う傾向が強まっているとして、2020年と2024年のデータを比較して解説。ここでは2020年に41.7%のシェアだった中国メーカーのシェアが2024年には55.9%に増えていることを示した。
その理由として宗像氏は「中国では自動車がアップグレードされないことが受け入れられなくなっている」ことを最大の要因として挙げた。その例としてビデオやオ-ディオアプリの更新が頻繁に行われること、運転支援機能であるADAS(Advanced Driver-Assistance Systems、「先進運転支援システム」と訳される)についてもLCC(Lane Change Control)などのソフトウェアが更新によって機能強化されることをソフトウェアの面では挙げた。さらにハードウェアについても、無償でコアとなるSoCの交換を行うメーカーや有償での交換に応じるメーカーの例を挙げて、ソフトウェアとハードウェアのどちらも頻繁に更新されるのが自動車においても当たり前になっているという消費者のマインドセットを説明した。そして「どうして海外のメーカーはアップグレードを提供できないのか?」という問いかけを示して次のスライドでその理由を解説した。
この「どうして自動車がアップグレードできないのか?」という問いに対する回答として「伝統的な自動車は組み込みデバイスであると考えられている」ことを挙げた。そして組み込みシステムは汎用のシステムとは異なり、利用が限定されたアプリケーションのためのシステムであり、その中に自動車が含まれているからだと説明。
組み込みシステムを開発するデベロッパーは、制約されたシステムのハードウェア要件とバグが許されないという条件の下で開発を行う必要があり、このため組み込みソフトウェアは精密な制御を必要とするという発想で開発されてきたことを説明した。
結果として組み込みシステムのエンジニアは、システムの挙動を100%予測できることを目指してソフトウェア開発するという発想になると説明。タスクの実行順序や割り込みの制御、メモリー管理、システムの監視までをすべて想定した通りに実行されることがゴールとなっており、そのためにソフトウェアもハードウェアも変更することが非常に困難となることを解説した。
100%の予測性を実現するためにはリアルタイムオペレーティングシステム(RTOS)を使うことが必要だと説明。ここで、今や多くのミッションクリティカルなシステムで使われている汎用OSであるLinuxとRTOSとを比較してその違いを解説した。
ここではLinuxがIVI、つまり車載のインフォテインメントのプラットフォームとして使われていることが記されているが、RTOSがスピードメーターや回転計などの走行に直接関係するシステムに使われており、その違いはタスクの実行制御の部分にあると説明した。そして宗像氏の専門領域であるHPCに使われるプロセッサがLinuxを実行できることでSDV(Software Defined Vehicle)を実現できると説明した。
組み込み用のプロセッサとRTOSではなくて車載システムを実装できるというのが宗像氏の結論だ。専用のプロセッサとRTOSによる実装から高速なSoCと汎用システムのためのオペレーティングシステムを使うことで、すべてをデベロッパーが制御する発想からオペレーティングシステムによる実行順序と割り込みの制御を使うという発想への転換を意味している。
専用のECUを多数使う従来型の車載システムから、ECUを統合して汎用のオペレーティングシステムを使うというのがAGLの発想だが、宗像氏はよりハードウェアに着目して解説を行った。ここでは汎用のインテルのプロセッサよりもルネサスが2024年11月に発表したR-Car X5Hがよりパワフルなプロセッサであることを紹介。R-Car X5Hについては以下のプレスリリースを参照して欲しい。
●参考:第5世代R-Carの第一弾、3nmプロセス採用の車載用マルチドメインSoC「R-Car X5H」を発表
そして次はソフトウェアデベロッパーの違いについて解説を行った。宗像氏のプレゼンテーションにおいて、ここまでの部分は前段でしかなく、ここから続く組み込み系のレガシーな発想のデベロッパーとエンタープライズ系のデベロッパーとの違い、そしてレガシーなベテランデベロッパーをいかに変化させるのか? という部分を解説した。英語にも関わらずスライドの要点を全身で指し示し、解説するプレゼンテーションは非常にパワフルだった。
完全な予測性を追い求めるエンジニアは職人的な技巧を凝らしてシステムを構築するという発想なのに比べて、エンタープライズ向けのソフトウェアエンジニアはハードウェアを抽象化し、ソフトウェアをハードウェアから切り離して常に更新できるように開発を行うというのが宗像氏による見方だ。
またADASの領域にも汎用OSであるLinuxが使われている証拠として、TeslaはAutopilotの部分にLinuxを採用していることを紹介。冒頭で紹介した中国の新興EVメーカーではなくTeslaを例に挙げたところに強いインパクトを狙っていることがわかる。
また保守的な組み込みエンジニアとエンタープライズ向けエンジニアとを比較し、従来の自動車業界は未だに多くの組み込みエンジニアが主流を占めており、その状態から抜け出さないと中国の新興メーカーに対して遅れを取ることに繋がると説明した。
そのためには守旧的な組み込みエンジニアに、モダンなOSをプラットフォームとして受け入れてもらうようにする必要があると説明した。
そのためには具体的な実証が必要だとして、RTOSから汎用OSへの移行のためには並行処理が要点となると解説した。特に組み込みシステムにおけるリアルタイム処理の要件が汎用OSの並列処理で代替できるかを詳細に検討するべきだと説明した。
その実証のためにルネサスはR-Carのリファレンスプラットフォームをリリースしたことを紹介。詳細は以下のリリースを参照して欲しい。
●参考:自動運転レベル2+ / レベル3向け、超低消費電力でクラス最高のディープラーニングを実現する車載用SoC
最後に、AGLはSDVのためのプラットフォームとしての可能性が拡がっていると結論付けた。これまで宗像氏が説明してきた守旧派の組み込みエンジニアをレゴのようにシステムを組み合わせるソフトウェアを開発するエンジニアに転向させるには確かな証拠が必要だと力説し、そのためにソフトウェア自体の進化も必要だが、何よりも保守的なエンジニアを納得させるためには専用プロセッサとRTOSでなくても実装が可能であるというリファレンスプラットフォームが必要であるというのが宗像氏の発表の要点だ。
宗像氏は日立製作所に所属していた頃からSH3、SH4というプロセッサに関わる仕事をしていた背景があり、組み込み系エンジニアの仕事も発想も十分に理解したうえで「発想を転換しろ、今のままでは中国のエンジニアに負けるぞ」と発破を掛けていると言える。AGLのエグゼクティブディレクターのDan Cauchy氏も後のインタビューでは「宗像さんのプレゼンテーションを見たか? あれを組み込み系エンジニアに見せてやりたい」と語っており、宗像氏の熱いメッセージが十二分に発揮されたプレゼンテーションとなった。
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