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AI最前線の現場から【エクサインテリジェンス】「AI×医療」とエクサエンテリジェンスの未来

2017年5月18日(木)
遠藤 太一郎(えんどう・たいちろう)

はじめに

第1回第2回では、「AI×医療」の現状や、エクサインテリジェンスの取り組みについて解説してきました。第3回の今回は、これからAI×医療がどのように進んでいくのかについて、実例を交えながら考えていきたいと思います。

AI×医療分野の特徴

医療分野は技術的、経済的な側面からAIの導入が進みやすい反面、政治的な意味では導入に障壁があると言われる分野です。大量のデータが保管されており、新しいセンシング技術も日進月歩な医療分野は、まさにAI化に向いているといえます。日々増え続ける医療知識も1人の医師が把握できる範囲を超えてきており、AIによるサポートが必要とされてきているでしょう。AIが導入された場合の金銭的インパクトが大きいことも、AI化を後押しする要因になります。

これだけAI化に向いている要因が揃っている医療分野ですが、一方でAI化を阻む要因も多いことが特徴です。まず問題になるのが「プライバシー問題」です。せっかくデータはあるのに、AIの学習には使えないといったことがよくあります。何とかデータを使う許可が得られても、今度はデータにAIに教えるための付加情報を加える必要が出てきます。例えば心臓のCT画像から冠動脈部分を自動抽出するAIを開発するには、冠動脈部分に色を付けた画像を多数用意しなければなりません。これは医師や医学生など医療知識を持つ人に依頼しなければならず、大きな人的・金銭的コストが掛かります。また、なかなか業界団体等の理解も得られておらず、政治的な影響を大きく受けるのもこの分野の特徴です。

以降ではこれらの特徴を踏まえながら、診断支援やIoTによるデータ取得など、AI×医療の各分野の未来について考えていきます。

AIによる画像診断支援

診断支援は、AI×医療の最も分かりやすい形ではないでしょうか。IBMの「Watson」における事例を始め、日々AIによるがん診断のニュースなどがメディアを賑わせています。第2回でも紹介しましたが、エクサインテリジェンスではDeep Learningを用いた冠動脈抽出の自動化を行っています。

図1は、弊社のDeep Learningモデルによる冠動脈自動抽出の説明です。このシステムを使うことにより、診断に必要な時間が大幅に短縮されます。

図1:冠動脈の自動抽出

1人の患者の心臓の冠動脈狭窄における診断には、一般の医師で30分、心臓の専門医でも13分かかります。それを機械が画像を取得して狭窄抽出まで数秒で行うことで、医師の仕事は抽出領域の確認と診断のみになります。診断時間が大幅に短縮されることで、医師1人で多数の患者を同時に診断可能となるはずです。

このように大変効果的なDeep Learningですが、学習を行うのには困難が伴います。一般的に、Deep Learningで画像を学習させるには大量のラベル付き画像が必要になります。写真に映った色々なものを見分けるAIをイチから学習させるには、時に数百万枚もの画像を用意し、それぞれの画像に何が写っているかをラベル付け(アノテーション)する必要があります。どこに何が写っているかを1つ1つ教えるようなデータを用意することで、Deep Learningでは自ら特徴を掴んで学ぶことができるのです。

医用画像を使用して学習させようとした際に問題になるのは、学習用データの準備です。例えば「心臓CT画像の冠動脈部分はどこか」を学習させるには、冠動脈部分を塗り分けた画像を多数用意する必要があります。これは医師や医学生など医学知識がある人に作成を依頼する必要がありますが、画像を1枚作成するにもかなりの時間がかってしまいます。医療関係者は忙しく、また単価も高いため、数多く用意するのは非常に困難です。

図2は医学生に依頼して実際の心臓画像から冠動脈部分を塗り分けてもらったものと、弊社のDeep Learningモデルによる自動抽出の比較です。1枚1枚丁寧に塗り分けるのは大変だというイメージを掴んでいただけたでしょうか。

図2:医学生による冠動脈の色分け

ここで注目されているのが「転移学習」という手法です。この手法では、わずか100枚ほどの学習用画像を用意するだけで、弊社のDeep Learningモデルを学習させることに成功しました。

学習用データの準備が高コストになる医療AIの分野では、今後この転移学習がキモになっていくと考えられます。より少ないデータでより高い精度のAIを学習させられるようになることで、これまでデータの準備が高コストでAI化が進まなかった領域にもAI化の波が及んできます。エクサインテリジェンスでは、これからも転移学習の研究と実応用に注力し、AIでできる医療の未来を切り開いていきます。

ここまで、弊社の事例を元に画像などを用いた特定の機能を持つAI化について解説しました。ここからは、個別の診断ではなく広い意味での診療に関してAIによるアプローチの可能性を探っていきたいと思います。

AIによる診療支援

医学の知識は日々増加してきており、1人の医師が把握できる範囲を超えてきています。そこでAIによる診断支援を導入し、医師をサポートする試みが少しずつ始まっています。

総合診断支援に関しては、自治医科大学が中心に進めている「ホワイトジャック」という実証実験中のプロジェクトがあります。システムに患者さんの症状を入力すると想定される病名と発症確率を提示し、医師の診断をサポートします。病名毎に推奨する検査や薬剤、見逃してはならない重大な病気を排除するためのレコメンドも提示されます。

ホワイトジャックのデータベースには、論文や教科書の情報の他、症例や実臨床での診療情報などが保存されています。患者さんの予診や問診の情報を入力するとこのデータベースにアクセスし、AIによる推論を行う仕組みになっています。医師が追加で問診や検査結果を入力すると、AIが最適と思われる病名と発症確率を再度予測します。医師はシステムと対話的にやりとりしながら、客観的なデータを元に医者の主観に頼らない診断ができるようになります。

病名候補には、確率が低くても見落としてはならない危険な病名が含まれます。これには経験豊かな総合診療医の知識が反映されており、経験の少ない医師の見落とし軽減に繋がります。最終的な診断を下すのはあくまでも医師ですが、若い医師など能力にバラツキがある場合でも、安定して一定レベルの診断ができるようになると言われています。

今後ますます高齢化が進めば、複数の疾患を抱えた患者が増えると考えられます。それにより総合診断医のニーズは高まりますが、現状では総合診療のトレーニングを受けている医師が少ないと言われています。医学の専門化が進むことで総合診断のハードルが高まる昨今、ホワイトジャックのような総合診療支援システムは、今後ますます必要とされていくでしょう。

また、診断支援システムが普及してくると、医師の働き方や求められる資質が変化する可能性もあります。近未来の医師は、典型的な症状や経過をたどる患者よりも、診断が困難な不確定要素の多い患者やあまり前例がない患者の診察により多くの時間を使うようになるかもしれません。そうしたこれまでAIが持っていなかった知見は人間の医師が診断することで新たにデータベースに保存され、徐々にAIでも対応できるようになっていきます。医師の仕事はよりクリエイティブになり、これまでにない症例に対応する仕事が増える可能性があります。

仕事に関しては別の見方もあります。AIによる診断の自動化が進むことで、臨床医はより患者とコミュニケーションする能力が求められる可能性があります。診断自体に大きな差がなければ、患者はより話を聞いてくれて安心させてくれる医者を選ぶようになっていくでしょう。患者の考えや気持ちをくみ取り、希望や生き方に合わせた治療方針を組み立てる医者に人気が集まるはずです。AI時代には、患者に共感し信頼を得られる医者がより求められるようになるのではないでしょうか。

ここまでAIによる診療支援について解説しましたが、このシステムをより高度化するためには、各種センサーなどによる情報の取得が必要になってきます。AIはデータから学習するため、様々なデータソースを用意することで、より賢い存在に育てることができます。ここからは、新たな機器の発達で、今後AIでどのようなことができるようになるかを解説します。

センサーとIoT機器の発達

センサー付きの通信機器として分かりやすいのはスマートフォンのガジェットです。例えば、イスラエルのDarioHealth社が販売する血糖値測定器はイヤホンジャックやLightingコネクタからiPhoneに接続可能で、簡単に現在の血糖値や、これまでの値の推移を記録できます。測定結果はもちろん、かかりつけの医師に送ることもできます。

Googleも血糖値をモニタしてインスリンを自動投与するコンタクトレンズを開発中です。測定結果はスマートフォンに自動で送信されるため、かかりつけ医も確認可能になるでしょう。血糖値の変化は、今後貴重なAI診療のデータソースとなっていくと考えられます。

また、聴診器のガジェット化も進んでいます。米国のClinicloud社は体温計と聴診器をiPhoneのガジェットとして用意しました。患者は自宅からビデオ通話で医者の問診を受け、体温と胸部聴診を送信することで、これまでより本格的な遠隔診断が受けられるようになります。米国では直接診療する必要がある患者は20%程だと言われており、遠隔診断が進んでいます。残念ながら日本では遠隔診断が認められていませんが、聴診のデータをデジタルで保存しておくことはAIによる診断の高精度化に繋がるでしょう。

生体信号を自然に取得するシャツも開発が進んでいます。東レやNTTなどが開発している「hitoe」は、心電位・筋電位・脳波などの生体信号を計測していることを意識することなく安定的に収集できるシャツです。hitoeは24時間心電図のような形での利用はもちろん、ドライバーの眠気を検知したり、アマチュアゴルファーとプロゴルファーのショット時の筋電図を比較したりするなど、様々な応用が進んでいます。今後普段の衣服にこのようなセンサーが組み込まれクラウドに繋がることで、病気の危険な徴候が早い段階で分かるなどの恩恵が受けられるようになるでしょう。

このようなセンサーやIoT機器は、治療や予防のためだけでなく人間の幸福度を高めることを目標とした使い方も模索され始めてきています。これは「Well-being Computing」と呼ばれ、人工知能系の学会でもセッションが組まれています。センサーを使ったテーマの例として、睡眠の質の向上や瞑想状態の解析などが挙げられます。

未来を占うその他のキーワード

AI×医療の未来に関連する話題はまだまだあります。最後に主なキーワードをいくつか紹介します。

データサイエンス的な視点では、現在米国で「予測医学」というものが進んでいます。米国では保険会社の力が強いため、全てのモチベーションは「いかに医療費を下げるか」「患者を家に帰してかつ病気にさせないか」「再発させないか」というところに行き着きます。そのため、例えば退院後再入院しそうな患者を予測する「再入院予測」という分野が活発になっています。予測医学は病気になりそうな人をいち早く検知する仕組みでもあるため、健康を維持するという意味では今後日本でも注目される可能性があります。

また、AI×未来の医療の大きな山に「遺伝子解析」という分野があります。応用範囲が非常に広く、簡単な紹介だけでも1本記事が書けてしまうほどのボリュームがあります。応用先の例としては、iPS細胞から目的の細胞を作る研究や遺伝情報を用いた新薬の開発、ゲノム編集、アンチエイジング、パーソナライズドメディスン、遺伝病の解析など、非常に広範囲に渡ります。AIを使った遺伝子解析は、「人類を一歩先に進める技術」とも言えるのではないでしょうか。

まとめ

ここまで、AI×医療に関して、近未来の姿を模索してきました。AIによってもたらされる医療の未来は単なる診断の自動化などにはとどまらず、医師の仕事の変化や病気の早期発見、健康の維持から幸福度の向上まで多岐にわたることが見えてきました。

現在使われている人工知能は基本的にデータから学習するため、データがこれら全てのキモになります。まず各種センサーからのデータや診断記録がデータベースに保存され、それを元にAIの学習が始まります。学習を行うには手動でラベル付けを行わなければならないケースも多く、大変なコストを伴います。これらのステップを経た結果としての医療AIなのです。

技術的な視点で医療AIのスピードを早めるためには、まず入り口である各種センサーや診療データ等の充実を図る必要があります。そして次に必要なのは、ボトルネックとなるデータへのラベル付け(アノテーション)です。ここを半自動化して高速化したり、転移学習などにより必要なラベルの数を減らしたりすることで、AI化に掛かる時間の短縮に繋がります。

これらの問題に対応するため、エクサインテリジェンスでは転移学習や自動アノテーションなどの研究開発を進めています。医療を一歩進めることで、豊かな未来の創造に貢献できるサービスを提供していきたいと考えています。

著者
遠藤 太一郎(えんどう・たいちろう)
株式会社エクサインテリジェンス
18歳の時にニューラルネットワークを始める。米国ミネソタ大学大学院在学中に起業し、AIを用いたサービスを開始。AIに関することは、実装から論文調査、システム設計、ビジネスコンサル、教育、等幅広く手がける。2017年にエクサインテリジェンスにジョイン。

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