「バリバリのエンジニア志向」だった私が、気がついたら「企業経営者」になっていた理由
今の時代、若手エンジニアが勉強したいと思えば、いくらでも教材や資料はインターネットで手に入る。だがそんな便利な時代であっても、やはり先輩たちの生きた経験に裏打ちされたアドバイスは貴重だ。本連載では、情報インフラ系SIerとしての実績の一方で、現場で活躍できるエンジニア育成を目指した独自の技術研修「BFT道場」を展開。若手技術者の育成に取り組む、株式会社BFT 代表取締役 小林道寛氏に、ご自身の経験に基づくスキルアップのヒントや、エンジニアに大切な考え方などを語っていただく。
安定して将来も有望なそれまでの職場が
「急につまらなく見えてしまった」
皆さん、こんにちは。株式会社BFTの小林道寛です。
前回は第1回ということで、私と会社の自己紹介をしました。そこで今回はもう少し踏み込んで、私がBFTの代表取締役、世間で言う「社長」になった経緯などをお話ししていきたいと思います。「なんだ、オジサンの半生記なんかに興味はないよ」と言われてしまいそうですが、このテーマを選んだのにはもちろん理由があります。
私は新卒間もない頃から、ずっとシステムエンジニアとしてシステム運用や開発の仕事に携わってきました。スタート時点こそいい加減で上司に怒られましたが(第1回参照)、一念発起してからは、自分なりに1人前のエンジニアを目指して頑張り、成果も挙げてきたつもりです。そうお話しすると、何人もの人が「そんなに技術者志向だった人が、なぜ会社の経営者になったんですか」と尋ねてくるのです。
もちろんエンジニアから経営者になった人は、私だけではありません。しかしこの2つの「職種」がその道のプロとして目指すところも、必要な知識やスキル、そして心構えもまったく異なっているのも事実です。そこで今回は、そうした皆さんの疑問に答えるつもりで、私がBFTの経営者になるまでをお話ししたいと思います。興味のある方は、しばらくお付き合いください。
私が前職で、親会社の会計システムの更改プロジェクトでリーダーを務めていたときです。人手が足りないので、パートナー企業にお願いしたところ、やってきたエンジニアの数名のうちの1人がBFTの前社長でした。みんな30歳前で若かったので、すぐ仲良くなったのですが、あるとき3人で飲んでいたら、その前社長がもう1人のエンジニアを自分の会社に誘いました。彼は非常に優秀なエンジニアだったので、実は私も自分のチームに入ってもらおうと思っていたのです。それが先を越されてしまったわけですが、2人の話を聞いているうちに「彼らの方が面白そうだな」と思い始めました。
当時の私はそれなりに業績も挙げ、またリーダーとしてチームを率いて「将来は部門長くらいにはいけるだろう。うまくいけば役員になれるかも」と内心は自負していました。でも彼らの話を聞いているうちに、それはどうも面白くないと思ってしまったのです。自分でもそれまで気づかなかったのですが、世の中には先の見通しが立つと安心する人と、つまらないと感じてしまう人がいて、どうも私は後者のようでした。それで気がつくと私は「俺もそっちの会社に行っていいかな」と口走っていたのです。
ちょっと自慢してしまうと、当時の私は仕事ぶりを認めてくださった企業から、しばしば声をかけていただきました。国内トップ10に入る有名企業や外資系企業から誘っていただいたこともあります。それがいきなり10人くらいしかいないベンチャーに行こうだなんて、自分でも何を考えていたのかとおかしくなります。でも、そのときは「どうせ挑戦するなら中途半端にやるより、全く先が見えないところに飛び込む方が面白そうだ」と思ったのです。
若い頃から今まで、
大勢の人たちからいろいろなことを教えてもらってきた
思いきりよくベンチャーへの移籍を決めたものの、プロジェクトリーダーが稼働中の開発プロジェクトを放り出していくわけにもいきません。その他にも抱えているものが山のようにあり、それらをきちんと処理して終わらせることができたのは半年後でした。先にBFTに戻っていた2人は「もう小林は来ないだろう」と思っていたそうです。
ようやくBFTにジョインして、すぐにKさんという女性とコンビを組んで働くことになりました。彼女は営業、私はエンジニア部門が担当です。2人とも同じ役員待遇でしたが、バックグラウンドが全然違うため、考え方から何から全て違っているのを、繰り返し話し合って進めるうち、毎朝30分くらいミーティングをする習慣ができました。ケンカもめちゃくちゃしましたが、Kさんからは営業活動という仕事を通じて、すごくいろいろなことを教えてもらいました。
「毎日ケンカしていた」というと穏やかではありませんが、私自身、Kさんに限らず誰かと仕事をするときは「特に仲良しでやろう」ということは意識していません。それよりも「この仕事を誰とやり抜くか」をまず考えるようにしています。というのも大体の場合、仕事は1人で全てできるものではありませんよね。大規模案件や高度なスキルを必要とする仕事なら、なおさら自分以外の人の能力が必要になる。だから、最初に誰を相棒にするかをよく考えて、はっきりさせることが大事なんです。
なんて偉そうに言っていますが、実はこの「この仕事を誰とやり抜くか」というのも、前職で一緒に仕事していた方から教えていただいたのです。エンジニアとしてもすごく優秀な方でしたが、こうした仕事の心構えの他にも、会議の進め方や私の発言内容に対する忠告など、実にいろいろなことを教えてもらいました。
そうそう、もう1人別の先輩にも、すごい「教訓」を教わりました。当時まだ学生気分の抜けなかった私は、相手が誰でも思ったことをはっきり言ってしまうクセがあったのです。ある会議の席で辛辣な言葉を相手にぶつけた私は、会議が終わって先輩に呼ばれました。そこで「小林、辛辣なことは笑って言え」と叱られたのです。
その先輩は、私がひどいことを言った相手の友人というわけでもありません。私ともたまに飲みに行くくらいの関係です。そういう人が親身に「いいか、辛辣なことこそ笑って言うんだ。辛辣なことをあんな怖い顔で言ったら、誰もお前の言うことを聞いてくれない」と忠告してくれたのです。そのとき、本当にありがたいと思いました。今振り返ると、私はこういう方々にいろいろなことを教えてもらって育ってきたんだなと、改めて思います。
経営者になってからも、いろいろな方からいろいろなことを教わります。何か問題が起きてお客様に謝りに行ったときなど、逆にそのトラブルがらみで、コンプライアンスについて詳しく説明していただいたりとか。そういうことがあるから、どんな仕事をしていてもたいがい楽しいし、それが自分の恵まれたところだなと思っています。
周りの人々からの親身のアドバイスで
経営者としての自覚に目覚めた
さて、話を社長業の方に戻しましょう。私がBFTの代表取締役に就任したのは2015年のことでした。36歳のときにエンジニア部門のマネージャーとして入社してから、6年半は自分でもエンジニアとして現場に出ていたのですが、その後社内に戻ってからはエンジニア部門に加えて管理部門も兼任となり、採用担当として積極的に人を採っていきました。それでまた何年か、開発と採用の二刀流で頑張っているうちに、代表取締役を引き受けることになりました。
すでに前社長は別の新規事業に専念するようになっており、BFTの実務は全て私とKさんが回していたので、引き継ぎ云々といったこともなく、今まで通りに仕事をしていました。とはいえ、実はこのときまで、私自身は自分が社長になるなどとは全く思っていなかったのです。一応役員ではあるものの、いつか何かのタイミングで会社を辞めて、また違うことを始めるのだろうと、漠然とではありますがずっと思っていました。それだから、その当時は会社の株も全く持っていませんでした。
それに会社は順調に業績を伸ばして成長を続け、良い人材も次々と入ってきてくれていました。実質的に経営に携わっていても、あまり悩むこともなく日々を送っていました。でも、なぜか社長になってしまったのです。そう思うと、のんきだった自分の中にも、急に責任感のようなものが生まれてきました。そんなある日、ついに「自分たちの会社の理念をきちんと作ろう!」と決意したのです。
そのきっかけは、これもまた「誰かに教えてもらった」ことでした。社長就任で、お客様に事情を説明するために各社を回る中で、いろいろな方がトップの心構えを教えてくださるのです。
- 「今までも役員ではあったけれど、代表取締役=社長になったからには、やはりその責任というものがあるんだよ」
- 「成り行きでトップになったと思ってはいけない。そこを自覚しなさい」
- 「会社にきちんとガバナンスが機能している状態を作るのが、社長の大事な役割だ」
……
ありがたいことに、私はこういう素晴らしい方々との出会いが、本当に多いのです。
それまで自分の中では、社長になったということが全くピンと来なかったのですが、皆さんにいただいた言葉を思い出すのを繰り返すうちに、初めて「あっ、そういうことなのか!」と納得しました。それまでも社員とは一緒に頑張るという姿勢で楽しくやってきたけれど、社長になったからには、もう1度自分の立場と責任を見直して、1丁目1番地から再スタートしようと決めたのです。それで、まず役員の体制を見直しました。私が1人で意思決定していたのを、4人体制にして株も分配しました。
その次に着手したのは、やはり会社の理念を定めることです。どこに向かって行く会社なのかを、社内はもちろん対外的に明快に説明できるようにしたのです。あと以前から採用活動を通じて社員を守るという意識はありましたが、そこをより具体的な活動に広げていき、本人だけで解決が難しい場合は、ご家族とも会って話すような機会も作っていきました。
そうした取り組みの中で、現在のBFTの2本の柱=「情報インフラと呼ばれるITシステムの開発をはじめとしたシステムインテグレーション(SI)」と「これからの時代を支えるIT人材の育成」も立ち上がってきたのです。2024年は、代表取締役就任から9年目になります。自分としては、とても密度の高い時間だったような、それでいてあっという間に過ぎた年月のようにも感じます。
現在の私の会社運営には、社内外からのさまざまな評価や批判もあると思いますが、確かなことは「これからも社員やパートナー、そして多くのお客様の力を借りて、まだまだ発展途上のBFTをさらに成長させていく」という使命が私にはあること。そして私自身「まだまだ辞めないで頑張るぞ!(笑)」と意気込んでいることを、改めてお伝えしておきたいと思います。
* * *
今回は、なんだか私の一代記みたいになってしまい、少々反省しています。でもバリバリの技術志向だったエンジニアが、どうにか企業の経営者になれた背景には、大勢の人々との出会いと、そこでいただいた親身の教えや温かな思いやりがあったことがお分かりいただけたかと思います。次回も、どうぞお付き合いください。
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