アプリのみ見てたらはまった落とし穴 IoTのUXを考える(前編)
「IoT は、プロダクト本体とスマートフォンのアプリ、プロダクトが梱包されているパッケージ、店頭に並んでいる感じ、ぜんぶ含めてユーザーエクスペリエンス(UX)なんです」そう語るのは、スマートフォンと連動するスマートロックや、忘れ物防止のスマートタグといった製品を開発している Qrio(キュリオ)株式会社のサービスディレクター、山口 隆広 さん(HCD-Net認定人間中心設計専門家)。
Qrio は IoT のハードウェアスタートアップとして、とくに成功している会社のひとつだ。IoT のプロダクトで、お客様に受け入れられるようなUX を設計するにはどうすればいいのだろうか。Qrio で UX デザインをリードする山口さんに話を聞いた。
――山口さんは忘れ物防止のスマートタグの開発に深くかかわったとお聞きしています。
はい。そして、実際に製品をリリースしてからお客様の期待値をきちんと理解しないままつくっていたことに気づいたんです。
スマートタグのアプリは僕も関わってつくっていました。元々アプリのチームとして参加していて、途中からハードウェアも含めて関わるようになったのですが、それでもハードウェアのことを全然考えられていませんでした。単に、この製品ならこんなデータが取れるはずという机上のスペックだけを見て想像を膨らませていった結果、様々な用途への応用を目指した機能一覧が積み上がっていきました。
例えば、スマートタグはそれ自身の音を鳴らすだけではなくて、GPSロガーとしても使えるようにしたら面白いんじゃないか、という感覚で機能を設計しました。スマートタグを持ち歩いていれば、自分がどこを歩いていたのかが全て地図に記録される。自転車のアプリとかでありますよね。
でも、そもそも考えてみると、スマートフォンを持たずスマートタグだけ持っていても位置はわからないんです。なぜなら、スマートフォンと通信してGPS情報を取得できてはじめて位置情報が記録されるものだからです。そうであれば、スマートタグがそれをする必要はなく、スマートフォン単体のアプリでやったほうが実際便利ですよね。
かつ、Bluetooth でつながっているので、通信の安定性も常に外部環境に影響されます。お客様への見せかたも、「忘れ物が見つかります」なのか「GPSロガーとして使えます」なのか、あれもこれも提案してしまっていることで、運営としても本当に期待に応えられる機能、アピールしたい機能は何なのか、軸がブレてしまっていたんです。
そんな風にアピールしてしまっていたので、忘れ物を見つけたい人にも、GPSロガーとして使いたい人にも手に取っては頂けている。さらに言えば、じつはカメラのシャッターとしても使える機能もある。そうなると、誰のどんな期待値に向けて考えていけばいいかわからない。何を優先的に改善していいのかもわからない。
その結果、リリース後しばらくはAmazon のレビューも非常に悪い状態でした。伝えている機能と期待とのギャップで「使いものになりません」というコメントも。
この調子では、いま立て直さないとこの商品はきっと無くなってしまう。社内関係者を含めて、改めてスマートタグとはどんな商品なのかを考え直すことになりました。
――切羽詰まった状況だったのですね。
そこで、当時の事業責任者が原点に立ち返って、このスマートタグは誰の何の課題を解決するものなのかを絞りました。それが「忘れ物」です。まず「置き忘れを通知して、忘れ物を防げる」「忘れ物をした位置を記録して、見つける助けになる」ということを中心に設計しましょうと。
スマートタグをつけているものをなくしたら、「なくしていませんか?」と知らせてくれるし、部屋の中にあれば、どこにあるのかちゃんとわかる、ということを中心にする。そのためのコミュニケーション、文言も見直す。
そして、GPSロガー的なことはやらない。移動履歴もいらない。友達と位置情報をシェアする、そんなことも必要ない。並行して機能をそぎ落としていくことをやりました。
――すごいですね。事業責任者と壁打ちをして、これは何をするものなのか、広げたものを絞らせる。それはなかなかできることではないです。
スマートタグの話には、じつは背景があります。
スマートタグのプロジェクトでは、元々外注としてアプリチームにいた僕がQrioに入社して、リリース少し前くらいのタイミングで事業責任者も兼ねるようになりました。でも、先ほどお話した通り立ち上げ当初からしばらくの間、サービス全体としては迷走していました。いま振りかえってみるとアプリの外の世界に、わからないことがいっぱいあったんです。
僕はもともとスマートフォンのアプリに携わってきた人間でした。だから、まずハードウェアがそもそもわかっていない。ハードウェアの限界もわかっていないしそれに求められる品質もわかっていない。それなのに、アプリの延長線でウェブサービスのようにプロジェクトを進めてしまった。その結果、いろいろ落ち度が出ました。
お客様との期待値がずれているのも気づけなかった。Bluetooth が外部影響を大きく受けて安定性を損ねることにも気づけていなかった。むしろ、いろんなことができるからもっと面白いように伝えよう。そうやって広げるに広げて結果的に綻びができてしまった。取り扱っているハードウェアの得意なこと、苦手なことを分かっていない、起こりうるトラブルや工場の生産ラインも明確には分かっていないままで事業責任者をするのは、客観的にみても適任ではなかったわけです。
Qrio にもともと在籍していた方々は、スマートロックで今までハードウェアに関わっていたので、当然ハードウェアがいかに難しいか、どんなことを考えないといけないかをよく知っている。営業もマーケティングもカスタマーサポートの方も。
そう考えたとき、スマートタグのプロジェクトの最善手を考えると、ハードウェアをきちんと理解しているメンバーを事業責任者すべきだと。そういう話を弊社の代表にしました。その代わり、UX や使い勝手の検討は得意なのでそちらをやらせてほしいと。
そうして、事業責任者は初期からQrioに所属していた方に代わってもらいました。その後、僕は製品の立て直しに注力するという位置づけに変わりました。幸い、工場との関係性もできてきて知見もたまってきたので、事業責任者と役割分担ができてうまくやれるようになりました。
――事業責任者を降りて改善に集中する立場になったときに、まず最初に何をしたんですか。
何が問題なのかという課題一覧をあらためて整理しました。わかってはいたけれど手がつけられなかったことを洗い出したりして。
そこから、事業責任者とも話してどういうスケジュールで直していけばいいか議論しました。エンジニアとも話をして、技術的な課題が直るか直らないかの検証もお願いしました。期限を決めて意思決定できる状態にしていく。その過程を、その改善予定を、会社の公式サイト上で、いま利用されているお客様に向けても伝えていく。
数々の課題に対して、本当にやるのかサービスを諦めるのか、事業責任者と一緒に決着をつけていきました。
ハードウェアもソニーのエンジニアに相談し、状況を伝えて解決するための意見をいただきました。工場に行く機会も増え、工場長と課題を共有して解決するために一緒に取り組んでいただき、色々と無理も聞いて頂きながら信頼感を積み上げていきました。
結果、ハードウェアは3月頃には安定し、その後、追ってアプリも改善していきました。全部やりきったあと、スマートタグのメンバーとも、やっと落ち着いたね、よかったね、と。これだったら自信を持って提案できるね、と言う声も聞かれました。
――落ち着いたというのはサービスとして品質が安定したということですか。
そうですね。顕在化していた課題を全部つぶしました。
電波が弱かったものは電波を強くしたり、取得ロジックを変えたりしました。電波強度がお客様の期待値と合っていなかったところを調整した結果、アプリとの通信も安定しました。
ハードウェアの大変なところは、アプリと違って部品をそうやすやすと変えられないことです。もし変えようにも既に店頭には在庫がたくさん並んでいる。それなら、既存の在庫を回収するのか、回収するといくらかかるのか。そんなことしたら会社がつぶれる、という話になります。ウェブ制作やアプリのように、データを差し替えてくださいという世界とは異なります。
スマートタグの通信が不安定だからBluetooth のモジュールを変えましょう、とすると、そもそも型番から何から何まで別の製品になってしまう。認証も取り直しです。そうなれば、すでに販売してしまった既存の製品の課題を解決できない。そこはいじれない。
ただ、スマートタグは幸運にもファームウェアのアップデートで課題が解決できるというのが見えました。あとはアプリを改善すればおそらく大丈夫だ、というところまで持ってこられたのが良かった。
Amazon やアプリストアのレビューも良くなってきました。それから、自分たちが使っていても誤通知がなくなった。1日使っていても、手元にあるのに「消えました」という誤認識がない。物としても自信を持って薦められるようになりました。
――ファームウェアのアップデートで解決できたのはよかったですね。
モジュールが差し替えとなったら作り直しになるところでした。本当に販売停止もあり得る。その可能性もあったので、そこはいちばん最初にジャッジしました。どこまで電波を伸ばせるのか、アプリでどこまで誤通知を丸められるのか。そこだけエンジニアに試作してもらって、使ってみて判断しました。
ファームウェアのアップデートで解決できたのは、IoT という分野だったからというのもあります。IoT ではアップデートの余地が残されているのでまだ何とかなった。今までのハードウェアの概念にはないところですね。
――スマートタグのアプリ側の改善はどのようにしたのですか。
国内外の競合製品の調査からはじめました。実際に社内でも使ってよくよく調べてみると、ハードウェアのスペックはあまり変わらないものもあるんです。通信が切れるタイミングや安定性も。
でもAmazon のレビューを見てみると、競合他社のアプリのほうが使いやすい。うるさくない。まともに使える。そういう意見が多い。ハードウェアの定量的なスペックは同じはずなのに、お客様の気持ちが離れているのはどうしてなのか、チームの中でさんざん議論しました。
そうして辿りついたのは、アプリの言葉が冷たい感じがする。お客様に寄り添っていない感じがする。システム目線の言葉になっている。という点でした。たとえば「Bluetooth が切断されました」というようなものです、お客様からしてみれば「切断されたんですか、そうですか。で、それは何なんですか」という。事象を説明しているだけで解決策も説明してない。言い方もぶっきらぼうですよね。
先ほどの通信の不安定さもそうです。断言しているわりには正確性もない。アプリが物をなくしていると判断したら「あなたはなくしています」と言い切っていました。でも、実はBluetoothの接続が切れているだけで、手元にはちゃんと物がある。それでは、お客様は反感を覚えます。逆に「物はあります」と表示されていて物が無くなっているということもありました。
期待値の調整がおかしいから、お客様は反感を感じて、Amazon レビューが駄目という状態でした。これはアプリのデザインの話ではなく言葉の話。見栄えがどんなによかろうがお客様に寄り添っていない限りはずっと、あのアプリは感じが悪いし使いものにならないと言われるだろうと。
そこで、言葉や表現をお客様に寄り添わせていくということを徹底的にやりました。たとえば、物をなくしているのだったら、アプリがちゃんと心配してくれるとか。Bluetooth通信が不安定であれば、100パーセントじゃないけど、たぶんあなたは大丈夫ですよというようにうまく伝えてくれる。
忘れ物をしたらどうすればいいのか、アプリをはじめて開いたら何をすればいいのか、Bluetooth が不安定ならどう調整すればいいのか。いかに説明書を読まなくてもわかるようにするか。そういった、お客様の目線と乖離しているところを片っ端から期待値にそろえるということをやりました。
それから、マーケティング側でもお客様に伝えるメッセージを絞りました。あれもできます、これもできますと散らかさない。たとえば、スマートタグは財布に入れない。期待値をちゃんと理解できていなかった最初のころは、財布にスマートタグをつけた写真を出していたのですが、その期待値は違う。スマートタグは家の鍵につけている写真を出す。「これは鍵につけるものです」というメッセージに絞りました。
――先ほどから「期待値」というワードを繰り返しおっしゃっています。それが大切なのはどうしてでしょうか。
ハードウェアには限界があるんです。できることの限界があるのにそれ以上のことをお客様に伝えてしまうと、期待値が現実より上がりすぎてしまう。その状態で手に取ってもらっても、実際はその期待を超えられない。購入前の心理と使い始めてから現実にギャップがあり過ぎると、こんなはずではなかったとなってしまう。
だから、期待値をちゃんと設計してお客様に伝える必要がある。スマートタグが得意なことは、忘れ物を見つけること。GPSロガーに使うものではないというように。
現にスマートタグも、やれることを絞ってそのターゲットお客様に向けたメッセージにすることで、カスタマーサポートに届く「よくわからない」とか「使いづらい」というお問い合わせも減りました。レビューも上がりました。
ハードウェアは背伸びせず、きちんとやれることをお客様に伝えていったほうがいい。それが期待値を見誤らないということです。つい頑張ろうとしていろんなことができる、こんなのできるとしてしまいがちなんですけど、それは手間はかかっているけど誰も幸せになっていないんです。
後編に続きます。
取材・文:羽山 祥樹(HCD-Net) 写真:編集部
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