第24回:我ら“クレイジー☆エンジニア”主義!世界初!量子テレポーテーションを成功させた古澤明

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第24回:我ら“クレイジー☆エンジニア”主義!世界初!量子テレポーテーションを成功させた古澤明
編者:Tech総研  2007/4/18
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クレイジー☆エンジニア
東京大学助教授
古澤明氏
1998年、世界初の実験の成功はアメリカの科学誌『サイエンス』のその年の10大ニュースに選ばれた。また、論文は「ジュラシックパーク」で知られる作家、マイケル・クライトンの目に留まり、タイムトラベルを題材にした歴史冒険小説『タイムライン』で、参考文献として彼の名前とともに紹介されている。
超高速演算を可能にする量子コンピュータは今、世界中の研究者が基礎研究にしのぎを削っているが、その最も重要な基礎技術のひとつである量子テレポーテーションの研究で、世界の先頭を走っているのが、その実験「スクイージング技術を用いた遠隔地間での量子状態の情報伝達の実証」を成功させた人物、古澤氏なのだ。
2004年には、二者間だけでなく、三者間の量子テレポーテーション実験にも成功、量子情報ネットワークへの手がかりをつかんだ彼は、また世界の度肝を抜いた。最初から科学者の道を目指していたわけではない。大学院を経てニコンへ。そしてアメリカ留学が転機をもたらす。
人生の節目節目でマイナーな道を選んだ
 将来について何か考えていた、とかないんですよ。子供のころに描いた夢も特になかったし、職業観もなかった。実際には今もないんですけどね(笑)。楽しければ、それでいい。楽しくやろう。そうやって過ごしてきたんです。特別なことなんて、何もしていない。子供のころも、ごく普通の子供でした。すべてが普通です。でも、子供もだんだん個性をもち始めますから、すべてにおいて真ん中にあるのも個性になるんですね。可もなく不可もなく。よく言えば、オールラウンダー。これといって取りえもない。東大に入るくらいの学力があったというくらいで。

 ただ、あまのじゃくではありました。みんなが行くところは、行きたくない。例えば物理を学びたいと思ったとき、物理の本流は、東大なら理学部物理学科なんですよ。でも、あえて僕は工学部物理工学科に行きました。大学の専攻も、超電導や半導体ではなく、地味な分野だった光物性を選んだ。就職のときも、同じ学科の卒業生の多くが大手電機メーカーやコンピュータメーカーに行ったけど、僕は行かなかった。平均値的な人間というのは、平均値的なところに行くのが向いている、と思ったからです。会社にしても巨大企業には、有名大学の卒業生がこぞって集まる。要は偏在しているわけです。そういう環境は、自分にはどうかな、と。今、考えてみると、人生の節目節目で、僕はマイナーな道に行くのが自分の流儀だったんですね。そしてこれが、後の自分に大いにプラス効果を与えることになるんです。

 大学時代に夢中になっていたものといえば、スキーでした。5歳で始めて、大学から大回転などの競技をするようになった。もともと勝負は好きでした。その意味では、大学受験も試験というレースだと思っていました。僕は学問で競争したことはあまりありません。でも、受験は学問ではないですから。まったく、別の話です。特に目的があるわけでもない。与えられた問題を早く解く。答えのあるものを見つける。パズルを解いていく。言ってみれば、頭の体操をやっているだけ。決して真理の探究などではないですからね。
最先端がいちばん面白い。だから最先端にいることが大事
 競争が好き、という観点でいえば、僕の選択は、競争を楽しめる環境を選んできた、ということが言えるかもしれません。でも、自分が納得のいく競争です。みんなが行く巨大企業を避けたかったのは、僕の中に、あるイメージがあったから。多くのライバルがひしめく中で競争があり、それはいいんですが、事業でも仕事でも、やっていることがまったく違っても、同じような基準で査定が行われなければいけないわけでしょう。言ってみれば、野球と卓球を無理やり比べるようなもの。でも、野球より卓球のほうが偉いなんて誰にも決められないわけです。ところが、大きな組織ではそんな難しい優劣もつけないといけない。組織を維持するために、です。それは僕が楽しめる競争環境ではなかった。

 僕は、会社に入ってから真剣に仕事のプロを目指そうと思っていました。当時の大学は今からは考えられないほど研究予算もなくて、建物も設備もひどかった。いい研究、とりわけ最先端の研究をするには、それなりにお金が必要です。最先端にいることは大事です。いちばん面白いですからね。そのためには企業という選択肢がいちばんだったんです。だからこそ、企業選びは重要でした。当時、博士課程まで進むつもりはありませんでした。修士には進みましたが、正直に言えば、スキーをもっとやっていたかった、という理由も実は小さくなかったりしますが(笑)。

 就職先にニコンを選んだのは、きちんと理由がありました。規模がとんでもなく大きくないけれど、財閥系の安定性がある、つまり資金力がしっかりあって、さらに当時は東京23区内にクリーンルームのある研究所があった。研究を行うのに、このロケーションは魅力でした。でも、人生というのは簡単に歯車が狂ってしまうもので、僕のもくろみとはお構いなしに、研究所は移転、さらにアメリカ留学中には、戻る職場がなくなってしまうんですけどね。

 ニコンで担当したのは、光で情報を読み書きする次世代大容量光メモリの研究でした。86年当時、最先端だった光磁気ディスク部門で、たったひとりでこの研究を任されることになった。面白かったですよ。何よりも最先端の研究でしたから。壁に当たると新しい方法論を考えて。3年目には東大の先端科学技術研究センターに出してもらって、このテーマで博士号を取ることになりました。ただ、これが本当にやりたいことなのかな、という気持ちは実はもっていました。


リクナビNEXT それでは、古澤氏がどのような経験を経て現在に至ったのかを見ていこう。  続きはこちら>>

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