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今回取り上げたのは「平賀源内」。歴史的人物を題材にしたこの架空の「レジュメ」シリーズで、初の日本人の登場である。 平賀源内、というと多くの人が「エレキテルの発明者」とまず思い浮かべるだろう。しかし、源内はエレキテル以前に、多くの「日本初」を成し遂げている。全国規模のエキスポを成功させたり、歯磨き粉の宣伝コピーを考案したり、「土用の丑の日にはうなぎを食べる」という習慣を生み出したのも、平賀源内である。 源内の仕事のスタイルは、思い浮かんだアイデアを次から次へと実行に移し、開発案件に携わり、事業を興してはそれを人に任せて、自分は次の企画に取り組むというもの。源内のことを「先生」と慕う者は多かったようだが、一方で、足軽の家に生まれ、武士としては最下級の身分でありながら、藩主や著名な学者、さらには幕府の要人からも目をかけられる源内のことを批判・中傷する者も多かったようだ。彼が、藩を飛び出して江戸に向かったのも、同僚たちのそうした視線に耐えかねたのも一因にあると言われている。つまり、江戸に出た源内には、どうやら「これで身を立てよう」という確固たる信念や志が定まっていたわけではないようである。多くの分野で次々とアイデアを事業化していった彼の仕事のスタイルは、このときから始まっていたわけだ。そういう意味では、発明家・科学者としてだけでなく、平賀源内という人は、プロデューサーや起業家、実業家としての才能も持ち合わせていたことになる。 「自分はこの分野で道を極めたい」といった決定的な目標はもっていなかったであろう平賀源内が、もし自分をアピールするとしたら、どんな「レジュメ」を書くのだろうかというのが今回のテーマ。転職によるキャリアアップを希望しているが、将来の自分の目標はまだ定まっていないというエンジニアの方に、レジュメを書くうえでのヒントにしていただければ幸いである。 それでは早速、平賀源内35歳の「職務経歴」「自己PR」「キャリアプラン」をご覧いただきたい。
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