1900年代のデザインの歴史から学ぶ!デザインの基本とは
本稿は、Smashing Magazineのブログ記事を了解を得て日本語翻訳し掲載した記事になります。
本記事は、Dmitry Fadeyev氏によって投稿されました。
近年人気の高い「フラット」なインターフェースのデザインは、単なるトレンドではありません。それは真のデザインへの欲求の現れです。つまり、視覚的に過剰なものを抑え、偽物や余分なものを排除しようとする欲求です。
技術の進歩はときに過剰なものを生み出すことがあります。
19世紀には、機械化された大量生産によって、装飾品を早く生産することができるようになり、その結果、製品は過剰に装飾されるようになりました。
近年、同様のことがデザインの世界でも起きています。
ディスプレイやスタイリングの技術の進歩によって、デザイナーたちはリッチな外観のインターフェースをデザインすることが可能になりましたが、その結果、スキュアモーフィックデザイン(現実の質感を模倣したデザイン)やスタイリングが過剰になりました。
モダンデザインの運動は、本物のデザインを求める過程で、19世紀の過剰な装飾を抑制することによって、現代の大量生産によりふさわしいデザインを生み出しました。
目次
モダンデザインの誕生
1908年、オーストラリアの影響力の強い建築家であるアドルフ・ロースは、『装飾と犯罪』という挑発的なタイトルのエッセイを書きました。
ロースは、「現代の装飾主義者たちは、文化的に遅れているか病理の症例である。彼らの作品は今後3年も持たないだろう。彼らの生産したものは、文化人には受け入れがたいものであり、他の人々にとってもやがてそうなるだろう。」と主張しています。
さらに大胆にも、「人々の水準が低いほど、装飾は贅沢になる。装飾に依存するのではなく、形に美しさを見つけることが、人類が目指すべき目標である。」と主張しています。
なぜロースは装飾を批判するに至ったのでしょうか?モダンデザインの先駆者であるロースのマインドセットを理解するには、初めに19世紀のデザインの実態を知る必要があります。
蒸気機関の発明によって、機械化された大量生産の時代が始まりました。美術評論家のフランク・ウィットフォードは、「蒸気駆動の機械は、人間の手作業よりも速く、より規則的にほぼすべての物質を切って型抜きして、生産することができます。
生産が機械化されたことにより、より低い価格でより高い利益が実現されています。」と書いています。
しかし生産方式が人の手作業から機械に変化した一方で、製品のデザイン自体は変化しませんでした。
建築や家具から衣類や食器に至るまで、ほとんどの製品には、ルネサンス時代からの伝統的なデザインに基づく、豪華な装飾が加えられていました。
歴史的に、人の手作業による装飾品は生産コストが高く、富と贅沢の象徴とされてきました。しかし機械化によって、こうした需要の高い装飾品の模造品を安く早く生産できるようになりました。
どのようなデザインが大量生産に適しているのかを立ち止まって考えることもなく、メーカーは低コストで歴史的なデザインを模造することができる機会に飛びつきました。
その結果、アドルフ・ロースをはじめとするモダンデザインの先駆者たちが批判したような、低品質で装飾が過剰な製品が氾濫するようになったのです。
有名な建築家であるル・コルビュジエは著書の『今日の装飾芸術』の中で、「ごみが豊富に装飾されているものである。」と遠回しに批判しました。また「贅沢な物は、しっかりとした造りで、美しくクリーンで、純粋で健康的です。無装飾なそのままのものには製造のクオリティが現われます。
しかし、製造業界ではこのことが逆転しています。装飾の多い鋳鉄製のストーブは、普通のものよりも生産コストが低いのです。というのも葉のパタンの装飾が多く施されていれば、鋳造の欠陥が見つかりにくいからです。」と述べています。
また、影響力のある批評家・ジャーナリストであるモントゴメリー・シュイラーは、19世紀のファサード(建築物の正面)の装飾について批判しました。
「もし通りの建築物の表面の装飾を削り取ったとしたら、すべての建築スタイルを取り除いたことになるが、今までと変わらない良い建築物になるだろう。」と述べています。
「超高層ビルの父」として知られる建築家のルイス・サリヴァンは、「元型として良く形成された美しい建築物を生み出すことに集中するために、何年もの間、装飾をやめるとしたら、私たちの美学的な利益に資するだろう。」と述べ、装飾を抑制することを主張しました。
1920年代には、ドイツで新即物主義という美術運動が起こりました。
新即物主義は、純粋な実用性をデザインに求める運動でした。ドイツの建築家ヘルマン・ムテジウスは、彼自身が機械のスタイルと呼ぶものを生み出すために、実用性をスタイルにどのように適用できるかを説明しました。ヘルマンは、「鉄道列車の駅、展示ホール、橋、蒸気船などにその例を見ることができます。
一方、他のモダンデザインの先駆者たちは、装飾を批判する代わりに、機能的な形態を高めることに集中しました。
1934年、近代建築家のフィリップ・ジョンソンによって企画された展覧会「マシンアート」が、ニューヨーク近代美術館で開催されました。
展示品として、飛行機のプロペラや産業用断熱材など、さまざまな機械的な備品が並んでいました。
この展覧会の目的は、純粋に機能的な目的に従った形態を持つ物の美しさを強調することでした。そして、美しさと上品さは、表面的な装飾からではなく、デザイン自体から生まれるということが示されたのです。
モダニズムの運動が浸透するには、20世紀前半の時間の多くを要しましたが、最終的にはこの新しい手法が、伝統的なスタイルや技術に勝利しました。
Jonathan Woodhamは、著書『Twentieth Century Design』において、「現代の美学は、クリーンな幾何学的形状・クロムメッキ加工された鋼・ガラスなどの現代的な素材の使用、平面の明暗への人工的な操作によって特徴づけられる。色の使用はしばしば抑制され、ホワイト・オフホワイト・グレー・ブラックなどの色が強調される。」と述べています。
モダンデザインの運動が全体として反装飾的なものであったと見なすのは誤りです。アール・ヌーヴォーやアール・デコなどに代表される新たなデザイン様式が、現れては消えました。
未来派のスタイルは、誇張された技術的な美学を推し進め、一方、デ・ステイルのスタイルは、数を制限したパタンや形の中に調和を見出しました。
しかし、これらのスタイルの変容の根底にあったのは、必要のない装飾からの脱却でした。
モダンデザインの運動は全体として、よりクリーンで、美しさを表面的な装飾よりもスタイルや形態そのものに見出すような、抑制されたデザインを求める運動だったのです。
デジタルの装飾
モダンデザインの歴史とソフトウェア・Webデザインの短い歴史を比較すると、似ている点があることに気づきます。
機械化された大量生産が装飾の過剰使用をもたらしたのと同様に、ディスプレイやスタイリングの技術の進歩は、ソフトウェアのインターフェースやWebサイトにおいて過剰な装飾をもたらしています。
初期のWebデザイナーたちは装飾に積極的であり、画像にアニメーションや音を加えて、過度にリッチで派手なユーザー体験を生み出しました。
グラフィカルユーザーインターフェイスを備えた初期のオペレーティングシステムは、外観や使用感は依然として基本的なものでした。
もっとも、ファイルのディレクトリを表すためにフォルダの画像を示したり、ユーザーにクリックできることを伝えるために面取り効果の加えられたボタンが示されるなど、現実世界に近いデザインにするための試みがなされました。
しかし、Webデザイナーが視覚的にリッチなユーザー体験を創造したいと思ったかどうかに関係なく、当時は白黒の低解像度のディスプレイであったため、デザインは全体的にフラットで抑制されたものでした。
技術の進歩に伴い、デザイナーたちはインターフェースの外観デザインにおいてより大きな自由を獲得しました。MicrosoftはWindows XPで、カラフルなスタイルを導入し、ハイライト、シャドウ、グラデーションを豊富に使用した外観になりました。
さらにAppleは、新たにリリースしたMac OS Xで、光沢感のあるプラスチック製の泡、ブラシ加工されたアルミ、リアルなアイコンなどをインターフェース上で表現することに成功しました。
また、MicrosoftはWindowsに、光沢感のある透明なガラスのようなテーマを加え、Appleはカレンダーアプリに革のテクスチャを導入したり、ブックリーダーにページめくりの機能を加えるなど、デスクトップおよびモバイルのシステムにより実物に近いデザインを導入しました。
現実世界のオブジェクトやテクスチャを模倣したスタイルのことを、「スキューモーフィズム」といいます。
インターフェースをユーザーにとって親しみやすい外観にするという唯一の目的のために、デザイン要素は現実世界の物に似せて作られます。
しかしデザイナーたちは近年、ノートアプリを紙のメモ帳に似せてスタイリングすることや、カレンダーアプリに革のテクスチャやページめくり機能を加えることの理由に疑問を感じ始めました。
これらの効果はユーザーの関心を引く外観をデザインできますが、現実世界の静的な物体を、それとは相容れない流動性やダイナミズムのあるデジタル世界のインターフェースと結び付けようとする過去の遺物なのです。
MicrosoftはWindows 8のリリースで、こうした過剰な外観から脱するために勇敢な一歩を踏み出し、オペレーティングシステムを完全にデジタル化して「本物の」外観にすることを試みました。
インターフェイスは、Microsoftが初期のモバイルリリース用に適用した原則に基づいて設計され、テクスチャや現実世界のオブジェクトの模倣をほぼ完全に排除した外観となりました。
その代わりにデジタル画面に秩序と上品さをもたらすために、Windows 8は、タイポグラフィ・間隔・色に工夫がなされています。現実世界を模倣した効果、過剰なスタイルを排除した後に残ったのは、シンプルなコンテンツのみでした。
かつてヘルマン・ムテジウスが、鉄道列車の駅を例として挙げたように、Microsoftのデザイナーたちは、「Metro」という名称で知られれるWindowsのインターフェースのインスピレーションを、地下鉄の駅の標識から得たと述べています。
また、近年Webも同様の変容を遂げました。表やFlashに基づく初期のデザインによって、エンジニアはインターフェースをピクセルパーフェクトに制御することが可能になり、デザイナーもコンテンツのためにリッチな外観を備えたコンテナをデザインすることを躊躇しませんでした。
しかし、新しいメディアの流動性を受け入れ、CSSを使用してデザインとコンテンツを分離するようになるにつれて、Webデザインはより拘束されるようになりました。
装飾が多く加えられたコンテナは、幅や位置の変更が容易ではありませんでした。そのため、デザイナーは画像の数を減らして、レイアウトをより適応性が高く保守しやすくするためにCSSのスタイリングを使うようになりました。
近年はレスポンシブデザインの進化、またデザイナーたちにはPhotoshopを使わずに最初からコードでデザインを始める傾向も見られます。
こうした動向は、テクスチャや装飾的な画像を多用するのではなく、タイポグラフィ・間隔・色から美しさを引き出すような、よりシンプルでコンテンツに焦点を当てた、本物のWebデザインの美しさを推し進めています。
Appleも、モバイルのオペレーティングシステムであるiOS 7のリリースにより、本物のデジタルデザインへの第一歩を踏み出しました。
縫製の革のテクスチャ、破れたページ端のデザインは消え、代わりにシンプルなアイコンと半透明な表面を備えた、ほとんどフラットなデザインのインターフェースとなりました。
本物のデザイン
モダンデザインの先駆的な時代から、現代のソフトウェアおよびWebデザインの変容に受け継がれているものは、本物への欲求です。
この欲求こそ約100年以上前にデザイナーたちの作品から装飾を削ぎ落としたものであり、現代のデジタルデザインをよりクリーンで、より機能的な美しさを備えたものに変える原動力となっているのです。
しかし、正確には何がデザインを「本物」にするのでしょうか?
本物のデザインの目的は、偽物を否定し余剰を排除することです。本物のデザインは、偽物のテクスチャで素材をマスキングしたりせずに、弱点を隠す代わりに強さを見せるものです。そして製品をより親しみやすく、または魅力的に見せるためだけの無意味な機能を排除します。機能は最適な形態で表現され、効率性にこそエレガンスさがあることに確信を持てるものです。
そして表面的な装飾を排して純粋なコンテンツに美しさを見出します。
本物のデザインにおいてスタイルが重要ではないということはありませんが、装飾によって追求されるものではないのです。むしろ、形態の美しさはコンテンツに依拠するものであり、スタイルはクリエイティブな解の結果として自然に生じるものです。
スージック.Dは、アングルポイズスタイルのランプ(以下画像参照)について次のように言及しています。
「ランプがどのように見えるかは――特にシェード(笠)の部分は――後付的なことでした。しかし、そのことは魅力的なことであったのです。ちょうどランドローバー(イギリスの自動車メーカー)の初期のデザインは、消費者受けを狙ったというよりも、技術的に独創的なアイデアを基礎としていたことで信頼性を高めたように、審美性を考慮しない本来のピュアな形態からこそ、本物が生まれるのです。」
デジタルデザインにおいては、デザインは大きく次のように集約できます。
デジタルな外観を保持すること
金属、木材、革などのテクスチャをコンピュータの画面上で模倣する必要はありません。デジタルインターフェイスはこれらの素材から作られているわけではないので、模倣することには意味がありません。
しかし、平面のフラットな背景色だけでデザインするべきだということでもありません。むしろ、現実世界のテクスチャを模倣しようと試みたり、それに拘束されるべきではないという意味です。
スキューモーフィズムを排すること
電子書籍は、ページをめくるときに実際の紙を模倣する必要はありません。またノートアプリも、革のカバー、破けた紙の切れ端、手書き風文字などを備えた実際の紙のメモ帳のように見える必要はありません。スキューモーフィズムはいつも悪となるわけではありませんが、インターフェース上に不必要な制約を生み出します。
例えば、メモ帳アプリのインターフェースを、現実世界のものに似せて作ろうとしたら、物理的な模倣をすることに制約が生じます。一方、静的で一次元なデザインにするとしたら、そうした制約はありません。
コンテンツを中心にしたスタイルにすること
スタイリングや装飾よりも、コンテンツに集中しましょう。このことは当然に思えるかもしれませんが、多くのWebサイト上では、既製のテーマが繰り返されているのではないでしょうか?
テーマは常にダミーのコンテンツをベースに作られているため、本質的に、最適なコンテンツを表現することは不可能です。ダミーのテキストによってテーマを作る場合には、すでにコンテンツは形骸化しているので、デザイナーはスタイリングと装飾に走ることになるでしょう。
ミニマリズムではない
機能性に美しさがあるデザインは、ミニマリズムのデザインとは同じではありません。
前者は、使いやすく、効率性の高い、利用性が最大限に高められた製品を生産するために、デザイナーが余剰を排除して生まれるデザインです。
一方、後者はミニマリズムの美学を追求することにより生まれるデザインであり、オブジェクトにシンプルさと美しさをもたらします。一方はデザインの基本原則であり、もう一方はスタイリングの選択肢なのです。
インターフェースをよりシンプルで「本物」らしくするために、ミニマリズムのデザインを、スタイルとしてインターフェースのデザインに厳格に適用することは、間違いです。
例えば、シャドウ、色、背景の多様なスタイルなどを見境なく排除する場合、必ずしもインターフェースが使いやすくなるとは限りません。
ジョン・マエダは著書の『シンプリシティの法則』の中で、「シンプルさを達成する最も簡単な方法は、思慮深い削除です。不確かな場合は、削除してください。しかし削除するものには注意してください。」と述べています。
要素を削除することがシンプルさにつながるのは、ユーザーが処理するアイテムが少なくなるからです。
しかし、ユーザーがインターフェースの操作を理解するための視覚的な手がかりまで削除することは、――アイテムをまとめ、要素を目立たせるためにボタンやラベルを区別化するのが、グラフィカル要素の役割であるため――かえってユーザーの負担が増えて逆効果です。
そのため、ユーザーへのガイドは、スタイルによってというよりも、デザインの原則によって実現するべきです。
本物のデザインが重要である理由
Riseというアプリは、本物のデジタルデザインの完璧な例の1つです。
目覚まし時計はすでにアプリとして開発されていましたが、このアプリを開発した会社Simplebotsは、純粋なデジタルキャンバスのコンテキストにおけるインターフェイスを再考することで、概念にゼロから取り組んだのです。
Riseのインターフェイスにはフルスクリーンのスライダがあり、時間設定した時の空の色に合わせて背景色が変化します。現実世界の時計、スライダー、テクスチャなどは模倣していません。
その代わりに、Riseのデザイナーたちは、モバイル端末のタッチキャンバス機能に対応するデザインを生み出し、端末を最大限に活用できるようなユーザー経験を創造しています。革新的なデザインは、優れたユーザー体験を実現するだけではなく、アプリ市場で目立つことができます。
Riseのようなインターフェースは、現実の世界にソリューションを求めるというよりも、デジタルなコンテキストの中で、完全に設計上の問題に取り組む場合にのみ実現可能です。
コンピュータの画面上では、抽象的なフォーム、アニメーション、明るい色、均一なシェイドを表現することが可能です。カラーパレットを抑制したり、静的表現に限定する必要はありませんが、スキューモーフィズムに縛られてもいけません。
ピクセル単位のグリッドを使用して、コンテンツを表現する最良の方法を理解することによって、より良いシンプルなソリューション、使い心地が良い画面を備えた革新的なインターフェースを実現することが可能となり、より良いユーザー体験を提供し、その他大勢から目立つようなアプリのデザインを実現できます。
まとめ
近年人気の高い「フラット」なデザインは、1つのトレンドかもしれませんが、余剰な装飾を排除してコンテンツに集中することへの欲求の現れでもあるのです。19世紀に機械化された大量生産によって過度な装飾を生み出したように、またディスプレイやスタイリングの技術が初期のWeb・ソフトウェアデザインにおいて同様に過剰なデザインを生み出したように、技術の進歩は過剰につながることがあります。
しかし、機能性に美しさを求めたモダニズムの先駆者たちによって、過剰な装飾が時間をかけて排除されたように、今日のソフトウェアにおける過剰も、やがて真のデザインへの欲求によって排除されることになるでしょう。
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