AAAI-26は人工知能の学会が行う国際会議であるため、主な参加者は学生である。研究を行っていた学生が企業に就職した後でも在学の学生と共同で研究を進めるため、論文に企業の名前がある場合でも往々にしてその企業が主体的に研究しているというよりも就職した個人の研究の継続という色が強い。企業名が記されていても実際には企業色は出ないというのがよくあるパターンだ。
KubeConなどに慣れてしまうとプロダクトの宣伝や企業の宣伝が少なく新しい理論の構築と検証、実験、既存理論との比較などに多くの時間が割かれていることに驚くが、学会が開催する国際会議としての価値は新理論や新技術の発掘と公表そして研究者同士の交流にある。企業がそれをどうマネタイズするのか? は二の次だ。だが稀に企業のプレゼンテーションかと思うようなセッションも存在する。
この稿ではスイス連邦工科大学ローザンヌ校(EPFL)の教授であり、その一部であるEmbedded System Laboratory(ESL)のトップとしてハードウェアに近い領域でのAIの実装に関する研究開発を続けているDavid Atienza氏のセッションを紹介する。これはAAAI-26のサブカンファレンスとして行われた「The 38th Annual Conference on Innovative Applications of Artificial Intelligence(AAAI-IAAI'26)」のセッションである。通常のトークが10分間という短い時間だったのに対し、このセッションは約1時間という時間を使って行われた。Atienza氏が所属するEPFL/ESLの研究成果を存分に解説する内容となっている。
医療の領域でのAIの利用を推進するための背景としては高齢化、継続的な処置が必要な持病患者の増大、それに対する医療コストの増加などを挙げている。また循環器系の慢性疾患が増えていることで生活の質を維持するためには個人のレベルでモニタリングを実施することが必要であることを挙げた。その上でウェアラブルなインターネット接続が可能なデバイスが求められていると解説した。
しかし常識的な発想でウェアラブルデバイスからデータを取り続けてそれを強化学習のために使うという発想は、膨大なデータを使うことを前提としており、それが本当に現実的な方法なのか? という疑問を提示した。
ここでは心電図を例に挙げて説明。端末が常時接続された状態であれば電源の問題やデータ量の問題は少なくなるだろうが、それがウェアラブル端末として実装した時にはデータ量の問題が発生することを指摘した。
そしてAIの側にも問題があるとして、正確な推論のためには巨大なデータが必要となることをグラフによって説明。ここでは精度を上げるためには大量の計算資源が必要になることを説明。これらは現在のウェアラブル端末では実装が難しい要因である。
このスライドではクラウドとエッジとなるウェアラブル端末の実装上の特徴を説明。エッジ側で処理すべきタスクとクラウドで処理すべきタスクがアプリケーションによって異なるため、一つのデザインですべてを包含することは難しく、アプリケーションごとにデザインを作りこむ必要があることを解説している。
そしてここから実際にハードウェアを研究している研究者らしい内容に入っていった。
ここではCPUを汎用プロセッサ、GPUやベクタープロセッサを並列データ処理用プロセッサ、Google TPUのようなSystolic Array、Coarse-Grained Reconfigurable Array(CGRA)などをドメインに特化したプロセッサとして紹介した。
エッジにおけるアクセラレータとしてHalio、Mythic、GoogleのEdge TPUなどがすでに存在することを紹介。
このスライドでは特にBioWolfについて触れ、2019年の論文で脳とコンピュータを接続するインターフェースが開発されていることを説明した。
ここでは機械学習のモデルを軽量にしながら、性能や消費電力の低減が必要であることを説明しているが、そのデザインの発想が従来型のコンピュータに依存していることを指摘。人間の脳の働きをモデルにして必要な時にだけ処理が進むようなデザインが必要であることを次のスライドで解説した。
その具体的な構成がこのスライドだ。
ここではデータの特徴に合わせたデータ取得とすべてのデータを必要とせずに概算、近似的に処理を行うプロセスがモジュラー式に組み合わせて構成されるシステムを提案している。
ただしこのダイアグラムでは実際にどのようなハードウェア、ソフトウェアになるのかが記載されておらず、概念上の構成として提案しているに過ぎない。それを具体的に紹介したのが次のスライドだ。
これはAtienza氏が所属するスイス連邦工科大学ローザンヌ校(EPFL)の一部門、Embedded System Laboratory(ESL)が開発した皮膚の電気反応を測定するためのチップ、X-HEEPをベースにして開発されたHEEPidermisというシステムだ。図の右上に赤いボックスで示されているのがRISC-VのCPU、それ以外の青色のボックスはさまざまなデータ処理のためのモジュールであるという。このシステムについては論文が公開されているので、そちらも参考にされたい。
●論文:HEEPidermis: a versatile SoC for BioZ recording
心電図から発生するデータはウェアラブル端末では取りやすいが、脳の異常を発見するためには専用の「不格好な」帽子型脳波計を常時着用しなければならず、これがユーザー体験として受け入れられないことを課題として提示し、この領域にブレークスルーが求められていることを認めた。
ウェアラブル端末とクラウドの連携についても解説を行い、端末とクラウドがデータの状態によって処理の分担する仕組みが求められていることを訴求した。ここもAtienza氏にとっては将来的には挑戦したいという領域だろう。
またクラウドで学習されたデータモデルに対してプライバシーを考慮した連合学習が必要だと説明。プライバシーに関わる医療データをクラウドで集約せずに、データの在処を限定したうえで学習を行えることが必要となるという。ここも今回のテーマであるウェアラブル端末には必要だが、将来的な進化を期待するという立場からの説明だろう。
ウェアラブル端末でのAIの利用に関するソフトウェアとハードウェアの連携については別々に行うのではなく、一緒に設計や開発を行うべきと説明。これはIEEEの論文としてAtienza氏が所属するEPFLの研究者が2022年11月に発表したものを引用して紹介している。
論文は以下から参照可能だ。
●参考:A hardware/software co-design vision for deep learning at the edge
また巨大なCNN(畳み込みニューラルネットワーク)を軽量化して分割、それを複製することで同じサイズと計算量を保ちながら多数決による投票などを行うことで精度の高い推論を行うE2CNN(Embedded Ensembles of CNNs)を提案。この手法によってエッジデバイスでも推論実行が可能になると説明。これもEPFLの研究論文を引用して解説した。元となっているのはE-QUARTICと呼ばれる技術に関する論文だ。
大量に発生する心電図などのデータの量子化には、複数のプロセスを連続して適用することで精度を保ちながらデータ量を減らす手法についても解説。ここでも「臨床データが膨大」という問題に対する解決策を提案している。
ここで前述のX-HEEPについての解説が行われた。オープンなエッジデバイスでのハードウェア仕様で、モジュラーとしてさまざまな機能を実装できると紹介。臨床データがさまざまな形態をとり、使われ方もさまざまであることを前提に必要な機能を拡張できることを目指しているという。
X-HEEPに関してもEPFLのサイトが参考になるだろう。
●X-HEEP:X-HEEP: an open-hardware RISC-V system-on-chip
X-HEEPのアーキテクチャーを紹介。ここではHEEPocratesという医学の父と称されるヒポクラテス(Hippocrates)の名前をもじった名称のプロセッサを使って解説している。CPU以外のアクセラレータやIn Memory Computingのコンポーネントが主要なパーツとなっているところが汎用プロセッサとは大きく異なる部分だろう。
HEEPocratesの実物を写真で紹介。RISC-VのプロセッサにASICやCoarse-Grained Reconfigurable Array(CGRA)などが実装されている。
Coarse-Grained Reconfigurable Array(CGRA)についても解説を行った。ここでは2次元のレイヤーで構成されているプロセッサが図式化されている。CGRAはGPUほど汎用的ではなくFPGAほど細かくはないプログラマブルな2次元で構成された演算器によるアクセラレータであり、Atienza氏によればエネルギー効率が良く、エッジデバイスでの畳み込みニューラルネットワーク(CNN)の実行には向いているという。
FPGAよりも荒い粒度(Coarse-Grained)で演算器を再構成できることを説明。
そしてHEEPocratesの後継機種であるHEEPatiaも紹介し、X-HEEPの開発が継続していることを示した。そしてHEEPocratesの実装例として脳波を計測するスマートグラスを紹介。ここでは24のセンサーが付いた帽子状のデバイスから眼鏡型に進化させたことでより抵抗なく装着することが可能になったことを説明した。これもAtienza氏らによる研究の成果であるという。
また連合学習を応用した複数のウェアラブル端末からのデータを総合的に使う方法についても紹介。
ただし連合学習についてはまだ研究が進んでおらず、自身の研究も含めて人工知能の学術的な発展が必要であることを認めた形になった。
最後にまとめとして、ハードウェアとソフトウェアを同時にデザインする発想が必要であること、エッジでのAI実装については異機種のプロセッサやアクセラレータ(CPU、CGRAなど)を組み込む必要があること、プライバシーの観点から連合学習の領域にさらなる研究が必要であることなどを示して、1時間のセッションを終えた。
非常に中身の濃いハードウェアからソフトウェアまで幅広くカバーした内容であった。まるでベンダーのような訴求方法はAAAIにおいては異色ではあるものの、必要な技術や方向性についてまだ多くの課題が残っていることを率直に認めたうえで学界における協業を求めたのは、やはりスイス連邦工科大学ローザンヌ校(EPFL)の教授という立場からは妥当な訴えだったと思われる。中国からの参加者が大半を占めるAAAI-26をスタートにして多くの電子機器を製造開発している中国メーカーにその訴えが届くかどうか、これからもX-HEEPについては注目していきたい。
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