ますます盛り上がりを見せる島根・松江市のIT産業。なぜ島根にITエンジニアが集まるのか (前編) ー始まりは1人の担当者の閃きからー
はじめに
コロナ禍でますます推進されている、新しい働き方。島根県松江市は、このコロナ禍の中でU/Iターン・二拠点生活・移住・ワーケーション・起業・独立など、ITエンジニアが集まる街としてエンジニアからさらなる注目を集めている。
松江市の人口は約20万人。JR松江駅までは、出雲空港から35分・米子空港から45分(いずれも空港連絡バス)と、羽田空港からは2時間ほどで市内中心部へ行け、アクセスも良い。言わずと知れた出雲大社や松江城などの観光スポットもある。島根半島の東端に位置する、美保関にある国登録有形文化財「美保館」の本館から別邸へ抜ける一本道を抜けると、大正浪漫あふれる景色が出迎えてくれる。
なお、冒頭の画像は、松江城の天守から臨む松江市中心街の景色だ。写真奥には松江のシンボル、宍道湖が広がる。
5月上旬、松江市に開発拠点を設立した企業と、企業を誘致した自治体である松江市の両者から、今日に至る背景や経緯をインタビュー取材した。様々な角度から取材していく中で、人と人との出会いから、それぞれのパズルがはまり、垣根のない産官学の取り組みが軌跡となったことを、筆者は感じた。
始まりは松江市の人口減少
軸となった取り組みは、松江市が2006年から産業振興事業として取り組んでいる、オープンソースとプログラミング言語Rubyを掛け合わせた「Ruby City MATSUEプロジェクト」だ。松江市のこれまでの取り組みと、企業誘致から関係人口へ広がりをみせる現状について、松江市産業経済部 定住企業立地推進課(企業誘致・UIターンサポート)副主任の土江健二氏に、お話を伺った。
5年ごとに行われる、人口動態を見る国勢調査。2005年の調査で、松江市は予想よりも早く人口減少が見られたという。当時は、全国的に雇用創出の取り組みとして、大規模な工場誘致が盛んであったが、松江市が唯一無二になれる政策はないか、当時の担当者は街中をヒヤリングしていた。そんなあるとき、 雑誌「AERA」で「島根県松江市在住」と掲載された、まつもとゆきひろ氏(以下、まつもと氏)の記事を目にした。そこには、海外でも広く使われる、オープンソースのプログラミング言語「Ruby」の生みの親と掲載されていたのだ。
閃いた、Rubyを核とするまちづくり
その担当者は理工科を専攻していたこともあり、「今後はインターネットを介してサービス提供するオープンソースの時代が来る。そのとき、プログラミング言語『Ruby』の簡易性は有利になる」と見据え、Rubyを核としたITの人材育成や産業振興を進めたいと、まつもと氏に協力を仰いだという。
「当時の担当者のアンテナにRubyの生みの親であるまつもと氏のことが触れ、Rubyの良さを幹部達に言語化できたこと。何か新しいものが生まれるかもしれないという期待感を、松江市のIT産業界も理解したことが、今のRuby City MATSUEに繋がった」と土江氏は解説してくれた。
主軸は人材育成
産業振興の分野で、 島根県は企業支援に、松江市は人材育成を重点的に取り組んだ。松江市内の小・中学校の技術家庭科「計測・制御」では、Rubyを活用したスモウルビー(Smalruby)が使われ、ソースコードを書くことなくプログラミングを学べるようになっている。
【参考】NPO法人Rubyプログラミング少年団 スモウルビー・スモウルボット
http://smalruby.herokuapp.com/
また、新規オフィス開設の際の一番の悩みは固定費の高い家賃。松江市や島根県のIT企業向け補助金制度を活用すると、実質ゼロになることもある。
【参考】情報サービス産業等立地促進補助金制度
http://www1.city.matsue.shimane.jp/jigyousha/sangyou/kigyou/kigyouritti-sienn/yuuguuseido/jouhousabisuhojokinn.html
手厚い支援に人口・企業も増加傾向に
人口減少に歯止めをかけるために始まったこの政策。2006年当初60人程だったRubyエンジニアは、今では5倍になった。合わせて、雇用・企業数・売上も増えている。学生が地元で就職したり、オフィス開設と同時に松江市に移住するなど、一定数の効果を生んだといえる。
「行政の限られた予算の中で15年間も事業が継続できているのは、今年の4月に退任した、松浦正敬前市長の思い入れのある事業だったことに加え、産学官が互いに協力してきたから」と土江氏。
Ruby技術者認定資格取得促進助成金制度ができたことも、Rubyの技術者が増え、これまでの積み重ねの可視化に繋がった。松江がRubyの街と認識され、Rubyを習いたくて来る学生もいるとか。
関係人口は地域の発展に
松江市の取り組みは、関係人口への広がりにも繋がりをみせる。
2017年、総務省が自治体に依頼したサテライトオフィス誘致推進事業(お試しサテライトオフィス)に採用された松江市。「まずは来ていただこう」と、市内3箇所にオフィスを設けた。
お試しサテライトオフィスには、毎年数社の企業から数名が松江に来た。2017年6月に訪れたヤフー社員の「地域と一緒に何かしたい」との提案では、当時から場所にとらわれずにテレワークをしていた「新しい働き方」を小学生に聞いてもらおうとセミナーを開講。小学6年生に、事前に自分たちの街の魅力(松江城・宍道湖など)について宿題で調べてきてもらい、10名ほどのグループに分かれ、グループごとに2時間で模造紙1枚に松江市をPRするホームページのデザイン案をまとめ、次の日ヤフー社員がWebデザインとして公開するというものだった。
ここで子ども達に学んでもらいたかったのは、自分たちが模造紙にまとめたものが、インターネットで調べた際に出てくるホームページと基本は変わっていないこと、インターネットを使えば、この街でWebの仕事ができることの体感だ。
子ども達が描いたデザインのすごさや、10名の案を2時間でまとめるという、大人でも難しいことをやり遂げた子ども達に感銘を受け、地域に住んではいないが、今でも松江市の取り組みについて一緒に考える関係人口に繋がるなど、企業側にとっても良い経験となったそうだ。
また「健康」をデザインし、ストレスサイエンスとセルフマネジメントを盛り込んだワーケーションプログラム「ワーキング ヘルスケア プログラムMATSUE」の取り組みも行われている。3泊4日の「地域滞在型テレワークプログラム」では、仕事時間をメインに、日頃の通勤時間にヨガやマインドフルネスを取り入れている。
【参考】「松江市のワーケーションはストレスが減る」を数値で実証できる!?
https://internet.watch.impress.co.jp/docs/column/workation/1315748.html
【参考】「自然が豊かな街で仕事をすると健康になる」を実証する、松江市のワーケーション
https://internet.watch.impress.co.jp/docs/column/workation/1219361.html
ワーキング ヘルスケア プログラムMATSUEでは、ワーケーションの一環として松江滞在型のテレワークサービスを提供しているが、そのワーケーション施設として、先に紹介した美保館のほか、大根島にあるゲストハウス「ココリト大根島」でも、さまざまな人数やシーンに対応可能な体制を整えているという。
2019年のワーキング ヘルスケア プログラムMATSUEにおけるワーケーション実証事業では、実証に参加したヤフー、マイクロソフト、ZOOMよりリモートワークをしているコアメンバーを中心に、松江市の様々なプレイヤー(経営者・教育関係者・地域おこし協力隊・移住組など)が集まり、松江市についてグループトークを3セッション行ったことも以前はあった。「はじめまして」な参加者も、松江市で共に過ごすことですぐに打ち解け、横につながりができたとか。
関係人口もさまざまなパターンがあるが、「人口」をどのように捉えるか。「『地域に関わる人がいない』と地域の人が思ってしまうと、地域のやる気が失われてしまう。都市部の人達が、関係を持って関わりたいと思っていると伝えることは、地域にとって大きなこと。地域の方と関わりながら、行政として、移住・雇用とは違う門戸の関係人口『松江モデル』を開拓していきたい。都市部側と地域側、双方ののりしろを相反しない距離感に保っていくことも必要」と土江氏は語ってくれた。
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