Windowsをオープンソースにすることの無意味さ
マイクロソフトのテクニカルフェローでありAzureのCTOであるマーク・ルシノビッチは最近のカンファレンスで、いつの日かWindowsをオープンソースにする事は確実にありえると主張した。これが彼が言うところの”新しいマイクロソフト”だという。
彼の言うことは正しい。新しいマイクロソフトはオープンソースが開発者たちにおける通貨のようなもの(その価値観を共有するもの)だと言う事を理解しており、そして開発者達はマイクロソフトが向こう数十年その価値観を共有し続ける事が出来るかについて懐疑的であることも分かっている。
しかしWindowsをオープンにすることがマイクロソフトのWindowsビジネスの方針を変える事にはつながらない。結局の所、開発者たちにとってオープンソースの価値とは生産物のコードではなく、そのコードから育まれるコミュニティーなのだ。
この点において、Windowsの道程は遠い。
新しいマイクロソフト
Wells Fargoのアナリスト、ジェイソン・メイナードは、「コンシューマーインターネットのスケール、Azure、モバイル及びクラウドへの投資を考えると、マイクロソフトのマネジメントのこういった動きはビジネスに中長期的な利益をもたらす」と述べている。彼の指摘も正しい。
マイクロソフトという会社はいい意味で生まれ変わった様に思える。
確かに昔の栄光の面影はある。Surface Pro3を触ってみて新しいMetro UIは気に入ったが、幾つかの点でかつてのWindowsに逆戻りしている部分も見受けられた。
しかしWindowsのインストールベースの莫大さを考えると、マイクロソフトは自分勝手に未来に向かって突っ走るわけには行かない。大勢のユーザーと共に少しずつ進んでいくしか無いのだ。
この事を考えると、Windowsをオープンにする意味が分からなくなる。
コードが公開されたからと言っても….
マイクロソフトがデスクトップWindowsをオープンにするといっても誰も気に留めない。あれはもう出て行った船のようなものだ。世間の中心は既にモバイルであるため、往年の覇者がオープン化されることは興味深いことかも知れないが、開発者達の興味を引くには不十分だ。
Novellのオープンソース活動の立ち上げを手伝っていた頃、最初にリリースしたコードのことを思い出す。UDDIサーバーだったが、Novellのスタッフ以外は一人としてそれがオープンソースだと気に留めることはなかった。またその頃、オープンソースでは同じようなソフトが既にたくさんあった。我々がリリースできたのはちっぽけなものであり、その活動は無駄なだけだった。
それでも良かった点があるとすれば、ソースをオープンにしたからと言って、その基盤が終わるわけではないという事がわかった点だ。
マイクロソフトの場合、ここ数年活発にオープンソースプロジェクトに参画しており、着実に多くのコードを提供している。最近では.NETのコードを公開したが、.NETは終わっていない。
穿った見方をすれば、これらのソースが公開されたからと言って何かが起こったというわけでもない。 .NETのコードのリリースは象徴的な事だが、マイクロソフトの開発路線は変わっていない。このリリースのせいで開発者たちが何かを諦めてしまったり、Java技術者であれなんであれ、レドモンドに苦情を訴えた人たちはいない。特に影響がなかったという意味で言ってしまえば、UDDIサーバーのリリースの時みたいなものだ。
言い換えればオープン化はマイクロソフトの精神的な部分でいい作用があるかも知れないが、業界を大きく変える手の物ではないという事だ。
オープン化とはライセンス以上の意味をもつ
オープンソースの意味とは結局の所、コミュニティーに行き着く。オープンソースソフトはコミュニティの育成に役立つとは言え、それだけでは不十分だ。自分の余暇やキャリアと引き換えにでも、そのコードに貢献しようとする多くの開発者が必要となる。
確かにサーバーからデスクトップレベルまで、Windowsの開発者たちは数多い。しかし彼らはLinuxなどのケースと比べてオープンソースコミュニティーに馴染みがない。マイクロソフトが活発なWindowsのオープンソースコミュニティーを形成する道を確立するのは時間がかかるだろう。またそのコミュニティ自身が自分たちが「コミュニティ」であるという事を理解する為の時間もかかる。
そして、そもそもこれにどのような意味があるのかという疑問もある。
もしオープンソースWindowsがモバイル及びデスクトップ両方を指すのであれば、この話を勧める意味もあるだろう。しかしここで忘れてはならない点だが、今日においてモバイルWindowsを気にかけている人はまずいないという事だ。
世間の注目がAndroidとiOSに集まっている以上、これはデスクトップに置いても変わらない。たとえ私達があと何年もデスクトップWindowsを使い続ける事になるとしても、あらゆる興味深いことがモバイルで起こっているのであれば、デスクトップの世界で貢献しようとする人はほとんどいないという事になる。
コミュニティに追いつく
最新の「誰がLinuxを書いているのか?」というレポートによると、1200社、12000人以上がLinuxカーネルに貢献しているという。その内、去年貢献した4000の開発者たちの約半分はカーネルについて関わりはじめたばかりだという。
これはかなりの数だ。マイクロソフトが同じようなものをつくり上げるのは非常に難しいだろう。
もちろん、Linuxに貢献している人々の多くは、活動を続けるために彼らの雇い主から給与を受け取っている(RedHat、HP、Dell等)。Windowsの場合、サーバーや、デスクトップビジネスの注目度からして、純粋なマイクロソフトのパートナーたちが貢献者へと転じ、コードの修正やドライバの提供を始めたとしたら、多大な商業的興味を集める事は明らかだ。
私はそういった興味を集めるとすれば、サーバーベンダーおよびそれに関連する企業からだと考える。もしマイクロソフトがWindowsをオープン化したいとするならば、その方面でのスタートになるだろう。
そしてどの道そうせざるを得ないだろう。今日のインフラはほぼ全てがオープンソースで構成されており、この傾向はこれから変わりそうもない。世間はLinux上でのクラウド、モバイル、ビッグデータに移りつつあり、マイクロソフトがこの流れに乗るためには、コミュニティ形成の準備が出来てなかろうがオープン化せざるを得ないかも知れない。
この事はソフトウェアライセンスで得られていた巨額の利益を手放すことを意味する。しかしAzureが存在を増してきている事を考えると、思っているほど企業の収益成長率に多大なダメージを与える事はないのかも知れない。
同様に、マイクロソフトはクラウドに強みがある以上、Windowsをオープンにすることはそれほど大きな意味を持たないのかも知れない。クラウドが様々なオープンソースを取り込んで構成されるとして、Windowsがオープンソースになる事は本当に重要な問題なのだろうか?
画像提供:
トップ画像:gernhaex
open glass-block画像:Urs Steiner
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※本記事はReadWrite Japanからの転載です。転載元はこちらをご覧ください。
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